京都 わら天神(敷地神社) Waratenjin Shrine 天空仙人の神社仏閣めぐり
「鳥居」 | |
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Torii | |
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「拝殿」 | 「拝殿」 |
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Haiden | Haiden |
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「社号額」 | |
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Shago-Gaku | |
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「綾杉明神」 | 「猪目 ハート型の意匠」 |
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Ayasugi Myoujin | Inome |
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京都市北区衣笠天神森町10
10,Kinugasa-Tenjinmori-Cho,Kita-Ku,Kyoto
本社 敷地(しきち)神社(わら天神宮) 御祭神 木花開耶姫命 御神徳 安産、子授け 由緒 敷地神社(わら天神宮)の起源は、太古山背国葛野郡衣笠村に降臨された北山の神です。 六国史を菅原道真が分類編纂した「類聚国史(るいじゅうこくし)」によれば、 天長5(828)年に都に大雨、地震があったおり、 時の淳和(じゅんな)天皇が勅使を遣わして北山の神に幣(みてぐら)を奉ったと見られることから、 その創建は平安建都以前と推測されます。 この地に氷室が設けられることとなり、その夫役として加賀国の人々が移住してきました。 彼らは菅生石部神社(現 石川県加賀市)の崇敬者であり、移住にあたりその分霊を勧請し、 御祭神を菅生石部神の御母木花開耶姫命と定め、北山の神の西隣に祀りました。 応永4(1397)年、足利三代将軍義満による北山第(後の鹿苑寺(金閣寺))の造営にあたり参拝に不便になったことから、 両社を合祀して現在地に遷座、社号を菅生石部神の通称である敷地神社とし、爾来600年になります。 当社は単に「天神宮」とも称していました。また、古来より稲わらで編んだ籠でもって神饌を捧げており、 やがて抜け落ちたわらを、安産を願う妊婦さんが持ち帰るようになりました。 後にそのわらを切り取り、安産のお守りとして妊婦さんに授与するようになったのです。 そのわらのお守りの珍しさから「わら天神宮」という名称が広まり定着しました。 案内板より
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