越後一宮 弥彦神社(やひこ じんじゃ) Yahiko Jinja Shrine 天空仙人の神社仏閣めぐり
![]() |
![]() |
![]() |
「鳥居」 | 「拝殿」 |
---|---|
Torii | Haiden |
拡大 画像Click | 拡大 画像Click |
![]() |
![]() |
「参道」 | 「御神橋 玉ノ橋」 |
---|---|
Sando | Tama no Hashi |
拡大 画像Click | 拡大 画像Click |
![]() |
![]() |
「随神門」 | 「舞殿」 |
---|---|
Zuishin Mon | Maiden |
拡大 画像Click | 拡大 画像Click |
![]() |
![]() |
「神橋」 | |
---|---|
Shin-Kyo | |
拡大 画像クリック | 拡大 画像クリック |
![]() |
![]() |
拡大 画像クリック | 拡大 画像クリック |
---|
![]() |
![]() |
「門帳」 | 「絵馬」 |
---|---|
拡大 画像クリック | 拡大 画像クリック |
![]() |
![]() |
「御神燈 神紋 丸大」 | 「雨と巫女さん」 |
---|---|
拡大 画像クリック | 拡大 画像クリック |
![]() |
![]() |
「奉納絵馬」 | 「奉納絵馬」 |
---|---|
拡大 画像クリック | 拡大 画像クリック |
![]() |
![]() |
拡大 画像クリック | 拡大 画像クリック |
---|
新潟県弥彦村弥彦2887−2
2887-2,Yahiko,Yahiko-Mura,Niigata
弥彦神社 由緒 祭神 天香山命 御祭神は天照大御神の御曾孫で天孫降臨に供奉して降り紀州熊野に住み神武天皇御東征の時霊剣を 奉りて大功をたて、後北辺鎮護国土開発の勅命を奉じて越後に降られ、住民を導き、農耕漁業を始 め諸産業を教え、地方文化産業の基を開かれた大祖神である。 されば夙く衆人その徳を仰いでこの地に社を創建し崇敬の誠を捧げた古社であり、遠く万葉集には 彌彦の神をたたえ、平安期の初め神験の顕著により名神の列に加わり神階を授けられ、延喜式に名 神大社と記す、鎌倉幕府三千貫の社領を寄せ、上杉謙信神助を祈り、徳川氏また五百石の朱印地を 奉る。 明治4年国幣中社に列し、皇室を始め衆庶の崇敬極めて篤く明治11年明治天皇が、昭和47年に は天皇・皇后両陛下又昭和56年皇太子・同妃両殿下が御参拝になる。 社頭 案内板より
おやひこさまは弥彦に下向される前は、紀伊半島の熊野にお住まいでした。和歌山県新宮市にある 神倉神社(かんのくらじんじゃ)は、おやひこさまが当時、高倉下命(たかくらじのみこと)と呼 ばれていた頃の杜(やしろ)です。その後、神武天皇が東征(九州から大和に向かった)された折、 高倉下命は紀伊から大和へご案内され、やがて大和の地に大和朝廷が成立したのです。橿原の宮で 神武天皇が即位して4年ほど後に、高倉下命は天皇より高志(こし)〈越の国〉の国造りの命令を 受けられました。 高倉下命たち一行は現在の寺泊町野積海岸に上陸し、その後弥彦の地に居をかまえた命は、天香山 命(あめのかごやまのみこと)と呼ばれ、越後の国の開拓に力を注がれたのです。 野積浜には「弥彦神社御上陸地」と刻まれた高さ1メートルほどの石碑が建てられています。 大森利憲著「峰の桜」おやひこさま物語より一部要約 |
ホーム| 神社・仏閣めぐり| 初詣おすすめスポット| 御利益別寺社一覧| 御利益グッズ |
Copyright © 2005 I.HATADA All Rights Reserved.
SEO | [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送 | ||