身延山 久遠寺(くおんじ)
     Kuonji Temple
                 天空仙人の神社仏閣めぐり
身延山 久遠寺 Official Page

身延山 久遠寺の桜


身延山 久遠寺 本堂
「身延山 久遠寺 本堂」

身延山 久遠寺 三門
「身延山 久遠寺 三門」

身延山 久遠寺
「身延山 久遠寺」

身延山 久遠寺
「身延山 久遠寺」

身延山 久遠寺 三門 写真 身延山 久遠寺 三門 写真
「三門」「三門」
SanmonSanmon
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身延山 久遠寺 菩提梯 写真 身延山 久遠寺 男坂 写真
「菩提梯」「男坂」
BodaiteiOtokozaka
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身延山 久遠寺 本堂 写真 身延山 久遠寺 寺号額 写真
「本堂」「寺号額」
HondoJigogaku
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身延山 久遠寺 祖師堂 写真 身延山 久遠寺 邪鬼 写真
「祖師堂」「邪鬼」
SoshidoJaki
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身延山 久遠寺 拝殿 写真 身延山 久遠寺 御真骨堂 写真
「拝殿」「御真骨堂」
HaidenGoshinkotsudo
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身延山 久遠寺 仏殿 写真 身延山 久遠寺 開基堂 写真
「仏殿」「開基堂」
ButsudenKaikido
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身延山 久遠寺 五重塔 写真 身延山 久遠寺 五重塔と大鐘 写真
「五重塔」「五重塔と大鐘」
Goju-no-toGoju-no-to Oogane
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身延山 久遠寺  写真 身延山 久遠寺  写真
「井桁に橘」
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身延山 久遠寺(くおんじ)

Kuonji Temple

山梨県南巨摩郡身延町身延3567

3567,Minobu,Minobu-Cho,Minami-koma-gun,Yamanashi


日蓮宗総本山 身延山 久遠寺

縁起

 身延山久遠寺(みのぶさんくおんじ)は、正式には身延山妙法華院久遠寺と称します。 鎌倉時代に日蓮聖人(にちれんしょうにん)によって開かれたお寺で日蓮宗の総本山であり、 また祖師日蓮聖人のお山ということから、祖山とも呼ばれております。

 当時、身延山は甲斐(かい)国波木井郷(はきりのごう)・南部実長(なんぶさねなが)公の領地でありました。 三度幕府をいさめながら、受け入れられなかった日蓮聖人は 「三度聞き入られずば山林に身をかくせ」との古事にしたがい、 実長公の招きによって文永十一年(1274)5月17日に入山され、 一か月の甲斐巡行の後6月17日御草庵を建てて住まわれましたので、 この日を身延山開闢(かいびゃく)の日としております。 以来、在山九か年の間、日蓮聖人は身延山から一歩も外に出られることはありませんでした。

 法華経は、一切経の総合経典と言われ、すべての人々の救済をめざした御経であります。 日蓮聖人はその法華経に生涯をささげられました。 晩年を過ごされたこの身延山は、ひたすら法華経の読誦と、 法華経の精神を受け継ぐ門弟たちの教育に心血をそそがれた尊い地であることから、 このお山をインドの霊鷲山(りょうじゅせん)と同様に、仏様たちがお住居になる所であると教示されております。

 弘安五年(1282)9月8日病気療養のため、 また両親の墓参のため常陸国(茨城県水戸市加倉井)へ向け身延山を出立されました。 しかし、その途上武蔵国池上(東京都大田区池上)において六十一歳の生涯を閉じられました。

 御臨終に際し「いずくにて死に候とも墓をば身延の沢にせさせ候べく候」とのご遺言により御遺骨は身延山に奉ぜられ、 ご精神とともに祀られました。 また、この山にお参りすることによって、人々は前世からの罪はたちまち消えさり、 逆に善根を積むことになるとご教示され「日蓮が弟子檀那等はこの山を本として参るべし」とご遺言されております。

 日蓮聖人入滅より実に七百有余年、廟墓と法灯は歴代住職(法主)によって、 絶えることなく守護され今日におよんでおります。 日蓮聖人が法華経を読誦され、法華経に生命をささげられた霊境身延山久遠寺は、 総本山として日蓮聖人門下の人々の篤い信仰を集め、 また宗門のみならず広く日蓮聖人を仰ぐ人々の心の聖地として、 日々参詣者の絶えることがありません。

身延山年中行事

◎印は三大会 天童音楽大法要

 1月1日〜3日  新年祝祷会

 1月13日    御年頭会

 2月節分日    節分会・豆撒き

 2月15日    釈尊御涅槃会

 2月16日    宗祖御降誕会

 3月彼岸中日   春季彼岸施餓鬼会

◎4月6日〜8日  釈尊御降誕会

 4月28日    立教開宗会

 5月3日〜5日  千部会

 5月12日    伊豆御法難会

 6月1日     夏衣御更衣式

◎6月15日〜17日  身延山開闢会

 6月中旬     御入山行列

 7月18日    盂蘭盆施餓鬼会

 8月18日    英霊施餓鬼会

 8月27日    松葉が谷御法難会

 9月12日    龍口御法難会

 9月彼岸中日   秋季彼岸施餓鬼会

 10月1日    冬衣御更衣式

◎10月11日〜13日  御会式

 10月25日   円師会

 11月11日   小松原御法難会

 11月中旬の日曜日   七五三祝祷会

 11月24日   天台大師会

 12月31日   歳末読誦会


諸堂案内

総門

 日蓮聖人が、身延入山の折、南部実長公とお会いになられた「逢島(おうしま)」総門の遺跡に立つ門。 二十八世日奠(にちでん)上人が、寛文五年(1665)に建立したもので、門に掲げられる『開会関』の扁額は、 三十六世日潮上人の筆によるもの。 開会とは、一切の人々は法華経の信仰によって仏となるとの意味から、 この門を入ることによって仏さまの世界に入っていくことを示しています。

本堂

 明治8年(1875)1月の大火で焼失して以来、 その再建本堂は身延山久遠寺の悲願でしたが、日蓮聖人第七百遠忌の記念事業として、 八十八世日滋上人代に再建を発願し、日康上人を経て九十世日勇上人代の 昭和60年5月に入仏落慶式が行われました。 総坪数970坪(3,201u)間口17間半(32m)奥行28間(51m)。 御本尊は江里宗平仏師の作で、外陣の天井画『墨龍(ぼくりゅう)』は加山又造画伯の畢生(ひっせい)の力作です。 なお地階の宝物館には久遠寺所蔵の宝物が展示されております。

五重塔

 平成16年に九十一世日光上人が五重塔再建を発願され、九十二世日総上人代の平成20年(2008)に、 明治8年(1875)以来133年ぶりに、創建当時の姿で復元建立されました。 塔内初重には、一尊四士の御尊像(体内には御仏舎利を奉安)と日蓮大聖人御尊像が勧請されております。 間口3間4面、高さ39m。

菩提梯(ぼだいてい)

 二十六世日暹(にっせん)上人代の寛永九年(1632)に、佐渡ケ島の住人、 仁蔵の発願によって起工、完成したものです。 高さ104メートルで、三門と本堂を一文字にむすぶ287段の石段は、 南無妙法蓮華経になぞらえて七区画に分かれています。 菩提梯とは覚りにいたる階段のことで、この石段を登り切ると、 涅槃の本堂に至ることから、覚りの悦びが生ずることを意味しています。

三門

 空・無相・無願の三つの門をへて、覚りに至ることから、 本堂を覚りの世界に見立て、本堂にいたる正面のこの門を三門と言います。 二十六世日暹上人代の寛永十九年(1842)に建立されましたが、 焼失し現在の門は明治四十年(1907)に、七十八世日良上人によって再建されました。 掲げられる『身延山』の扁額は七十九世日慈上人の筆によるものです。

祖師堂(そしどう)

 祖師日蓮聖人を御祀りするお堂です。 入口には祖師の御魂が棲んでおられるという意味の『棲神(せいしん)閣』(七十四世日鑑上人筆)と 書かれた扁額が掲げられています。明治8年(1875)1月の大火で焼失し、 七十四世日鑑上人代の明治十四年に再建されたものです。 中央の宮殿には日蓮聖人像が御祀りされており、内陣虹梁(ないじんこうりょう)に掲げられている 『立正』の扁額は、日蓮聖人の立正大師号にちなんで、昭和6年に天皇陛下より賜わった勅額です。

御真骨堂(ごしんこっどう)

 日蓮聖人の御真骨を奉安する御真骨堂は、白亜の八角堂と拝殿からなっております。 十一世日朝上人代の文明6年(1474)に、西谷から現在の地に移築、増築されますと、 法主猊下(ほっすげいか)の守塔(しゅとう)の任に配慮して、御真骨も現在の地へ奉遷せられました。 現在の八角堂ならびに拝殿は、七十四世日鑑上人代の明治14年に再建されたもので、 八角堂内の荘厳は善美をつくしたものです。

報恩閣(ほうおんかく)

 身延山久遠寺の総受付です。立教開宗750年の慶讃事業として 九十一世日光上人の発願により平成14年3月に落成しました。 入口前庭には、樹齢四百年を経た枝垂れ桜が参拝者の目を楽しませております。

仏殿・釈迦殿 両納牌(のうはい)堂

 仏殿は昭和6年、日蓮聖人の六百五十遠忌を記念して81世日布上人の代に建立されたものです。 釈迦殿は、八十八世日滋上人代の昭和56年に建立されたもので、 地上六階建てで最上階が釈迦殿となっております。 両殿には、全国の御信者の御志納になった御分骨・御位牌を安置しております。

思親閣(ししんかく)・七面山(しちめんざん)

 久遠寺の裏山が身延山で山頂は、海抜253mあります。 ここは日蓮聖人が登山せられ、故郷である干葉県小湊の御両親様を偲び、 追慕された霊跡の地でありますので、奥之院とよばれ思親閣が建てられております。 三門より徒歩で五十丁(5.5km)□-プウェイを利用しますと七分で登詣できます。 また身延山より西の方角の山を一つ越えた彼方に七面山があります。 海抜1982mの山頂には、法華経信徒の守護神であります七面大明神が奉祀されております。 七面山は、徳川家康公の御側室でありました養珠院(ようじゅいん)お万の方によって女人禁制が解かれたお山で、 山頂の敬慎院には、二干名もの参詣者が参籠できる施設があります。 七面山は山頂まで徒歩での登山となります。 春秋の彼岸の中日には富士山頂からの御来光を拝することができ、 その神々しさは筆舌には尽くしがたいものがあります。

御草庵跡

 御廟所左手の老杉のもと玉垣に囲まれた所が、 日蓮聖人が九か年御隠棲された御草庵の跡地であり、身延山久遠寺発祥の地であります。 日蓮聖人は、文永十一年(1274)5月17日身延に入山され、 弘安五年(1282)九月八日まで、ここに起居され法華経の読誦と門弟の教育に終始しました。

御廟所(ごびょうしょ)

 西谷の地にあり、杉の磨丸太づくりの拝殿奥の八角塔は、 日蓮聖人の『いづくにて死に候とも、墓をば身延の沢にせさせ候べく候』と の御遺言にしたがって建立された、日蓮聖人の廟墓です。 八角塔の塔中には、日蓮聖人の入滅時に建立された五輪の墓が収められ、 右手には身延山歴代のお墓が並び、左手には富木常忍の母、阿仏房日得上人、 南部実長公の墓があります。 日蓮聖人の廟墓ですので祖廟とも称し、恋慕渇仰する信徒の参詣が絶えません。

身延山参拝のしおりより


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