京都 吉田神社(よしだ じんじゃ)    Yoshida Jinja Shrine   8.FEB.2002   天空仙人の神社仏閣めぐり

吉田神社 Official Page
吉田神社 鳥居 吉田神社 拝殿
「鳥居」「拝殿」
TORIIHAIDEN
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吉田神社 吉田神社 瑞垣
「瑞垣」
MIZUGAKI
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吉田神社 扁額 吉田神社 下がり藤紋の門帳
「扁額」「下がり藤紋の門帳」
HENGAKUMONCHO
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吉田神社 舞殿 吉田神社
「舞殿」
MAIDEN
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吉田神社 神鹿座像 吉田神社 おあずけ割符
「神鹿座像」「おあずけ割符」
SHINROKU ZAZOHOAZUKE WARIFU
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吉田神社 開運招福絵馬 節分追儺式 方相氏 吉田神社 開運招福絵馬 節分追儺式
「開運招福絵馬

節分追儺式

方相氏」

「開運招福絵馬

節分追儺式」

EMAEMA
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吉田神社 吉田神社 だるま神籤
「だるま神籤」
DARUMA MIKUJI
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大元宮

吉田神社 吉田神社
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吉田神社 吉田神社
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吉田神社(よしだ じんじゃ)

Yoshida Jinja Shrine

京都市左京区神楽岡町30

30,Kaguraoka-Cho,Sakyo-Ku,Kyoto

TEL. 075-771-3788


吉田神社

祭神として健御賀豆知命(たけみかづちのみこと)・伊波比主命(いはいぬしのみこと) ・天之子八根命(あめのこやねのみこと)・比売神(ひめがみ)の四神を祀る。

清和天皇の貞観(じょうがん)元年(859)4月古くからの霊域であったこの吉田山に、 中納言藤原山蔭郷が平安京の鎮守神として春日の四神を勧請し、以来、朝廷の信仰も厚く、 正暦2年(991)には、朝廷から特別の奉幣を受ける二十二社の社「二十二社」の前身 である十九社奉幣に列する。

次いで、室町時代の中頃、神官の吉田(卜部(うらべ))兼倶(かねとも)が吉田神道( 唯一神道)を大成し、山上に斎場所大元宮(さいじょうしょだいげんぐう)を造営してか ら、吉田流神道の総家として明治に至るまで神道界に大きな権威を誇った。

大元宮(重要文化財)には全国の神々が祀られ、ここに参ると全国の神社に参ったのと同 じ効験があると信仰されている。

本殿は慶安年間(1648〜1651)の建築で、朱塗春日造りである。境内には大元宮 のほか、地域の氏神・雷除神として有名な神楽岡社、吉田兼倶を祀る神龍社、料理の神を 祀る山蔭社、お菓子の神を祀る菓祖神社など多彩な末社、摂社が多い。

毎年節分の日を中心に三日間行われる節分祭は、疫神祭(えきじんさい)・追儺(ついな )式・火炉(かろ)祭の三部に分れ、追儺式は「鬼やらい」として特に有名で、毎年多数 の参拝者でにぎわう。

京都市 案内板より


斎場所大元宮

天神地八百万神をまつる大元宮を中心とし、周囲に伊勢二宮をはじめ、全国の延喜式内社 3132座を奉祀する。

もと、神職卜部(吉田)家邸内にあったのを文明16年(1484)吉田兼倶がここに移 建したもので、吉田神道の根本殿堂をなすものである。天正18年(1590)神祇官八 神殿も社内後方に移され、江戸時代より明治4年(1871)に至るまで朝廷の奉幣使派 遣のとき神祇官代としてその儀式を執行した。

本殿(重要文化財)は慶長6年(1601)の建築で、平面八角に六角の後方を付し、屋 根は入母屋造・茅葺、棟には千木をあげ、中央に露盤宝珠を置き、前後には勝男木をおく 特殊な構造をもっている。この形式は神仏習合(神道と仏教の折衷調和)、陰陽五行(万 物は陰と陽の二気によって生じ、火木は陽、金水は陰、土はその中間にあるとし、これら の消長により大地異変・災事・人事の吉凶を説明)などの諸説を総合しようとした吉田神 道の理想を形に現したものといわれる。

当社に参詣すると全国の神社に詣でたものと同じ効験があるとして、毎年節分の日を中心 に前後三日間行なわれる節分祭には多数の参詣者で賑わう。

京都市 案内板より


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