吉野 如意輪寺(にょいりんじ)      Yoshino Nyoirinji Temple   天空仙人の神社仏閣めぐり

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吉野 如意輪寺 山門 写真 吉野 如意輪寺 如意輪堂 写真

「山門」

「如意輪堂」

SAN-MONNYOIRIN-DO
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吉野 如意輪寺 後醍醐天皇廟 写真 吉野 如意輪寺 写真

「後醍醐天皇廟」

GODAIGO-TENNO-BYO
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吉野 如意輪寺 写真 吉野 如意輪寺 多宝塔遠望 写真

「多宝塔遠望」

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吉野 如意輪寺 難切不動尊 写真 吉野 如意輪寺 難切(なんぎり)不動明王 写真

「難切不動尊」

「難切(なんぎり)不動明王」

NANGIRI FUDO-SONFUDO-MYOU
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吉野 如意輪寺(にょいりんじ)

Yoshino Nyoirinji Temple

奈良県吉野郡吉野町吉野山1024

1024,Yoshino-Yama,Yoshino-Cho,Yoshino-Gun,Nara


如意輪寺

専横の北条幕府を倒し、建武中興をなしとげた後醍醐天皇は、足利氏との争いのため京都を逃れ、 吉野山へ行幸以来4年間、吉野の行宮(あんぐう)に過ごされました。

延元4年(1339)病床に就かれ「身は仮に南山の苔に埋むるとも魂魄(こんぱく たましい)は 常に北闕(ほっけつ)(北の方、京都)の天を望まん」と都をあこがれ、遂に崩御されました。

天皇の遺骸をそのまま北向きに葬ったのが、塔尾陵(とうのおのみささぎ)です。

次帝後村上天皇の正平2年(1347)12月楠木正行(くすのき まさつら))公の一族郎党143人が、 四条畷(しじょうなわて)(大阪府)の決戦(足利の武将高師直(こう の もろなお)との戦)に向かうにあたり、吉野の 皇居に天皇と今生の別れを告げ、先帝の御陵に参拝の後、如意輪堂に詣で髻(もとどり)を 切って仏前に奉納、過去帳に姓名を記し最後に正行公は、鏃(やじり)をもって御堂の扉に

    かえらじと かねて思えば 梓弓

         なき数にいる 名をぞとどむる

 と、辞世の歌を残して四条畷に向かいましたが衆寡(しゅうか)敵(てき)せず、弟正時と共に最後をとげました。

現在の建物は、約350年前の再建で正行公の歌をとどめた扉は寺宝として宝物殿に保存されています。


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