秩父神社 (ちちぶ じんじゃ)    Chichibu Jinja Shrine 天空仙人の神社仏閣めぐり

秩父神社 Official Page
秩父神社 御本殿
「秩父神社 御本殿」
Chichibu Jinja Shrine

秩父神社 つなぎの龍
「つなぎの龍」
Tsunagi no Ryu

秩父神社

秩父神社 お元気三猿
「お元気三猿」
Ogenki Sanzaru Three wise monkeys

秩父神社 御本殿 写真 秩父神社 神門 写真
「秩父神社 御本殿」「神門」
GohondenShin Mon
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秩父神社 社号額 写真 秩父神社 狛犬 写真
「社号額」「狛犬」
ShagogakuKomainu
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秩父神社 写真 秩父神社 北辰の梟 写真
「北辰の梟」
Hokushin no Fukuro
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秩父神社 瓢箪から駒 写真 秩父神社 子育ての虎 写真
「瓢箪から駒」「子育ての虎」
Hyotan kara KomaKosodate no Tora
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秩父神社 秩父夜祭り 絵馬 写真 秩父神社 北辰の梟 絵馬 写真
「秩父夜祭り 絵馬」「北辰の梟 絵馬」
EmaEma
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秩父神社 写真
「秩父神社」
Chichibu Jinja Shrine

秩父神社 神門 写真 秩父神社 写真
「神門」
Shin Mon

秩父神社 秩父夜祭絵馬 写真 秩父神社 北辰の梟(ふくろう) 写真
「秩父夜祭絵馬」「北辰の梟(ふくろう)」
Chichibu Yomatsuri EmaHokushin no Fukuro Owl

秩父神社 写真 秩父神社 写真

秩父神社 つなぎ龍 写真 秩父神社 北辰の梟(ふくろう) 写真
「つなぎ龍」「北辰の梟(ふくろう)」
Tsunagi Ryu DragonHokushin no Fukuro Owl

秩父神社 写真

秩父神社(ちちぶ じんじゃ)

Chichibu Jinja Shrine

埼玉県秩父市番場1−1

1-1,Banba,Chichibu-Shi,Saitama

秩父鉄道秩父駅から徒歩約3分

または西武池袋線西武秩父駅から徒歩約10分


秩父神社 由緒

悠遠且典雅な神秘に包まれる聖域秩父神社は躍進途上の秩父市の中央に鎮座し秩父 三社巡りの三峰、宝登山両神社の中間にあって、古くから秩父総社延喜式内社、関 東の古社として知られております。

御創立は遠く二千有余年前、崇神天皇の御代秩父国造の始祖知知夫彦命が命の御祖 神八意思金命を奉斎しました時と記録されております。その後東国の山域にも武家 の勃興と共に漸く文化も開け、平安中期以降神仏習合の妙見信仰が加わりました。 上下の尊崇、別けても朝廷の御崇敬は極めて篤く神階正四位下に進み武家の崇敬も 深く現在の御社殿は戦国末期に兵火に炎上しましたのを徳川家康公が造営を進めた ものです。当時の棟札が社宝とし保存されてあります。昭和三年十一月御即位の当 日県社から国幣社に列格いたしました。

畏くも、大正天皇は第二皇子雍仁親王殿下の宮家御創立に当り秩父宮家の称号を御 宣賜あらせられ、その年殿下は親しく御奉告のため御参拝なされて乳の木壱樹を御 手植えなされましたが、今は亭々として生い茂って参りましたところ、先年、宮様 の薨去遊ばされるや御遺徳を偲びまつる郡市民は御由緒も深いこの聖域に御尊霊を 御奉斎申し上げました。

先年は貞明皇后、高松宮殿下の御参拝を辱うしております。なお、秩父宮妃殿下の 御参拝を戴き、秩父神社復興奉賛事業完遂奉祝祭(昭和四十七年十月五日)を斎行 しましたが、お歌を賜りました。

  神垣も新になりて みゆかりの 秩父のさとわ いよよ栄えむ

秩父神社 参拝のしおりより


御祭神

八意思兼命(政治 学問 工業 開運の祖神)

知知夫彦命(秩父地方開拓の祖神)

天之御中主神(北辰妙見と同神格)

秩父宮雍仁親王(先帝昭和天皇の弟宮)

御由緒

当社のご創建は平安初期の典籍「先代旧事紀-国造本紀-」によれば、人皇第十代の 崇神天皇の時代に、八意思兼命を祖とする知知夫彦命が、知知夫国の初代国造に任 命され大神を祀ったことに始まるとされており、武蔵国成立以前より栄えた知知夫 国の総鎮守として現在に至っています。

元慶二年(878年)には神階正四位下に昇叙され、延長五年(927年)に編纂 された「延喜式」にも掲載されるなど、関東でも屈指の古社のひとつに数えられて います。また、中世以降は関東武士団の源流、秩父平氏が奉じる妙見信仰と習合し 長く「秩父妙見宮」として隆盛を極めましたが、明治の神仏分離令により秩父神社 の旧社名に復しました。

現在の権現造りのご社殿は、天正二十年(1592年)に徳川家康公が寄進された もので、江戸時代初期の建築様式をよく留めていることから、埼玉県の有形文化財 に指定されています。また、毎年12月3日に行われる例大祭は「秩父夜祭り」と して国の重要無形民族文化財に指定され、京都の祇園祭り、飛騨の高山祭りと共に 日本三大曳山祭りに数えられ全国に知られています。

古くこのお祭りは妙見祭とも呼ばれ、妙見様の星祭りとして親しまれてきました。 妙見様のご利益は、国土守護、除災招福貧窮を救い、一切の諸願を満たしてくれる 天女のような神様であり、庶民の様々な願いを叶えてくれるご神徳があるとされて います。これにちなんで、当社に古くから伝わる妙見様の御姿を記した掛軸とお守 りを奉製致しました。霊験あらたかな妙見様のご加護により、皆様に幸せが訪れま すことをお祈り申し上げております。

境内 案内板より


秩父夜祭り

秩父市の中央柞の森に鎮座する秩父神社は秩父地方の総社延喜式神名帳にのってい る関東屈指の古い社である。創立は、遠く崇神天皇(約二千年前)の御代、知知夫 国造として来任された知知夫彦命(ちちぶひこのみこと)とその祖神の八意思兼命 (やごころおもいかねのみこと)、それに天之御中主命(あめのみなかぬしのみこと )の三柱を祀ったと言う。神仏習合の時代には、秩父妙見宮として栄え、毎年十二 月三日、この社の例大祭が秩父夜祭りである。また、寛延年間以来、絹織物の絹大 市がたち、諸国から商人が多く入り、取引が盛んに行われたため、別名「お蚕祭り」 ともいわれ、秩父織物産地の基盤ができたのもこの頃からである。

この祭に曳かれる笠鉾と屋台は、寛文年間(約三百年前)にはほぼ現在の形が整った ようである。中近と下郷の二基は笠鉾で、他の屋台四基は、いずれも芸能屋台で、江 戸の歌舞伎舞台が祭礼曳山に仕組まれた発達過程をそのまま物語るものであり、祭礼 曳山によって庶民劇場を街中に短時間で組み上げることは、劇場発達史的見地からも 極めて貴重な存在である。

夜祭りというと夜だけの祭りと思われがちだが、朝九時ごろから各町内を始め、神社 で屋台芝居、曳き踊りが見物できる。祭りのクライマックスは、三日夜、お旅所下の 急坂を豪快な屋台ばやしで一台一台曳き上げる時で、正に動く不夜城の絵巻であり、 折から打ち上げられる大仕掛け花火との競演は、祭りを見る人々の心を興奮のるつぼ へ誘い込むのである。

寛政、天保の改革等その都度禁止の圧力を受けながらも、夜祭りの灯は秩父の人々の 生命の灯となって護りつづけられ、現在は二十万余の観光客で賑わっている。

また、この笠鉾、屋台の六基、屋台芝居、曳き踊りと屋台ばやし、神社の神楽と一連 の祭行事が国の文化財に指定されており、秩父夜祭、飛騨高山祭、京都祇園祭が日本 三大曳き山祭として知られている。

       昭和56年3月 

秩父市 案内板より


「北辰の梟」について

ご本殿北側中央に彫刻された梟は、「北辰の梟」といって、菱川師宣描く有名な浮世絵の「見返り美人」よろしく、体は正面のご本殿に向き、頭は正反対の真北を向いて昼夜を問わずご祭神をお守りしています。

当社のご祭神である妙見様は、北極星を中心とした北辰北斗の星の信仰で、この梟の見ている方角に妙見様が出現することからも、ご祭神を特に縁りの深い瑞鳥であると言えるでしょう。

洋の東西を問わず、梟は智恵のシンボルと考えられており、当社のご祭神 八意思兼命が智恵の神として崇敬の篤いことと重ねて、思慮深い神使として社殿北面に施されたものと思われます。

このご利益にちなんで、机上に置いて学業成就の霊力を得る「梟の置物」をはじめ、「梟=不苦労」に通じることから、開運招福の標とし素焼きの音色が楽しい「梟の福笛」など、参拝の記念にお受け戴きますようご案内申し上げます。


「お元気三猿」について

三猿といえば日光東照宮が有名ですが、同じ徳川家縁りの御社であるにも拘わらず、当社の三猿は日光とまったく違った表情をしています。

日光が古来の庚申信仰にちなんで「見ざる・言わざる・聞かざる」なのに対し、当社の三猿は「よく見・よく聞いて・よく話そう」ということで、現代の情報化社会にふさわしく俗に”お元気三猿”として皆様に親しまれています。

当社のご祭神である妙見様は、神仏の中心にあって、人間の元気な命を司る神様として永く信仰されてきたことから、特に不老長寿のご利益があると言われています。


「瓢箪から駒」について

秩父夜祭の神様は、お神輿ばかりか御神馬に乗ってもお旅所にお渡りになることから、毎年十二月三日には本物の馬二頭が奉納され御神幸にお供をしています。それにちなんで、当社では「妙見御神馬守り(勝守り)」を授与してい

よく知られている馬に関する諺に、「瓢箪から駒が出る」というのがありますが、意外なところから意外な発見や出会いがあるかもしれないということで、まさに開運招福を意味するところです。

当社の例大祭である秩父夜祭では、「ホーリャイ ホーリャイ」と囃して屋台を動かしますが、これはそもそも当社を仙人が住むという伝説の島<蓬莱山>に準えての呼び方なのです。


「子宝 子育ての虎」左甚五郎作

未だ群雄割拠の戦国時代、当社は甲斐の武田信玄公の手により、永禄十二年(一五六九年)に焼失の後、徳川家康公のお力により現在のご社殿が再建されました。

家康公は、寅の年 寅の日 寅の刻生まれということで、虎にまつわる物語が少なくありません。それにちなんでか、当社の拝殿前は四面にわたってすべて虎の彫り物が施されています。

特に拝殿正面左より二つめの、子虎とたわむれる親虎の彫刻は、名工左甚五郎が家康公の威厳とご祭神を守護する神使として彫刻したものと伝えられています。当時の狩野派では、虎の群れの中に必ず一匹の豹を描くことが定法とされていたことから、母虎があえて豹として描かれているので特徴的です。


「つなぎの龍」−左甚五郎作−

その昔、秩父札所十五番小林寺近くに「天ヶ池」という池がありました。その池に住みついた龍があばれた際には、必ずこの彫刻の下に水溜りができていたことから、この彫り物の龍が鎖でつなぎ止めたところ、その後、龍は現れなくなったという不思議な伝説が伝わっています。

ご本殿東側の鎖でつながれた青い龍の彫刻こそ、この伝説に語られた「つなぎの龍」の姿なのです。

昔から日本人は、家や地域の四方を青龍、朱雀、百虎、玄武という神使が守っていると信じてきました。この彫刻も、当社の東北(表鬼門)を守護する青龍の姿を、名工左甚五郎が社殿彫刻に施したものなのです。

境内 案内板より


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