本土寺(あじさい寺) HONDO-JI (AJISAI-DERA) 8.NOV.1997 天空仙人の神社仏閣めぐり
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「本土寺(あじさい寺)」 | 「五重の塔」 | |
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| GOJU NO TOH |
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「山門」 | 「お願い地蔵」 |
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| SAN-MON | ONEGAI JIZOH |
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「お願い地蔵守」 | 「あじさい守」 | |
|---|---|---|
| ONEGAI JIZOH MAMORI | AJISAI MAMORI |
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「扁額」 | |
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| HENGAKU |
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「お願い地蔵」 | 「お願い地蔵守」 |
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| ONEGAI JIZOH | ONEGAI JIZOH MAMORI |
HONDO-JI (AJISAI-DERA)
千葉県松戸市平賀63
63,HIRAGA,MATSUDO-SHI,CHIBA
TEL. 047-346-2121
JR常磐線北小金駅から徒歩約10分
平賀 本土寺
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JR常磐線北小金駅北口より、商店街を少しぬければ参道にかかり、松杉などの 大木が連なること五丁。正面にそびえる丹塗りの仁王門を仰いで境内に入ると、 木の間ごしに台上の本堂が見え、右方に諸堂が軒を連ねる様が見渡せます。 浄域一万坪の起伏に富んだ地形と桜・楓の古木が織りなす春秋の趣きは殊更であり、 特に初夏の菖蒲と紫陽花の花時は大変な賑わいとなります。 当山は、もと源氏の名門平賀家の屋敷跡と伝えられ、今を遡ることおよそ七百年前の 建治3年(1277)に、領主の曽谷教信卿の協力により領内の地蔵堂を移して法華堂 とし、日蓮大聖人より長谷山本土寺と寺号を授かったのに始まります。 池上の長栄山本門寺、鎌倉比企ケ谷の長興山妙本寺と共に、朗門の三長三本と呼ばれ、 宗門中屈指の大山として末寺百数十を統べ、山内は四院六坊がとりまく十四間四面の本堂を 中心に、七堂伽藍がその山容を誇ったものでありますが、惜しいかな度々の不受不施の法難と 明治維新の廃仏毀釈運動のために衰退し、今は昔の偉容とてうかがえません。 しかしながら三聖人ご出生の聖蹟として今なお名高く、又開運、乳出子育、学業増進、諸願成就のご霊験で 知られる名刹であります。 三聖人と申しますのは平賀家の三兄弟で、師孝第一と讃えられる 日朗聖人、日蓮大聖人に次ぐ偉聖と崇められる日像聖人、そして池上本門寺、比企ケ谷妙本寺 の大成者日輪聖人であります。 日朗聖人は長兄に当てられ、宗祖の第二番目のお弟子として、法難続きの伝道を共にされた ことは余りにも有名であります。 また日像聖人は、文永6年(1269)8月10日にこの地に生誕され、七歳にして身延に登り 学業にはげまれ大聖人が池上においてご入滅の際には、 わずか十三歳の若年ながら、並み居る大勢のお弟子、ご信徒の中から選ばれて、 都(京都)での開教と天子の教化の大遺命をたまわることとなりました。二十五歳の年、 宗祖の十三回忌に当たる永仁2年の春から都で布教するも、勅命で追放されること三たび、 さらに他宗等の迫害を二十八年もしのび、遂に後醍醐天皇に妙法を奏上することが叶い、 法華宗号のご倫旨と勅願寺を賜り、立派に祖願を成就されたことは、西日本一帯に法華の宗を 弘めた大聖として崇められる所以でもあります。 今日、像師堂にご安置する親子相想のお姿は、法難の日々を案じられる八十余歳の母公 妙朗尼に、我が身に代わってご対面すべく、自ら刻んで送られたお姿と伝えられております。 このお姿は、開運の御衛ともいわれ、開運除災、学業成就に古来霊験が顕著であると ご信仰をいただいております。また側らのご誕生水は乳出の御霊水といわれ、七百年の昔より ご利益は不思議な程であり、近年までは祈願者が続いたものであります。 こんにち、「花の寺」として親しまれている本土寺の本とは、「我此土」つまり。お釈迦様が 本当の佛、本佛となって住む国土「本土」に由来します。また花は、本佛に捧げられる花であり、 宝樹であります。 建物としては文化財はありませんが、霊宝等は数多く宝蔵に格護されております。 お釈迦様(本佛)のお姿は草木国土も成佛させようという慈悲の光に輝いております。あなたの 心にも永遠の安らぎが与えられますように。
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