法然院(ほうねんいん) Hounen-in Temple 11.SEP.1999 天空仙人の神社仏閣めぐり
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Hounen-in Temple
京都市左京区鹿ヶ谷御所ノ段町30
30,Shishigayatsu-Gosho-No-Dan-Cho,Sakyo-Ku,Kyoto
善気山 法然院 萬無教寺 (ばんぶきょうじ) 南無阿弥陀佛。ようこそご参詣下さいました。当山の歴史は、専修念佛[せんじゅねんぶつ] (阿弥陀佛にいのちをあずける一切の生きとし生けるものを佛にならせるという阿弥陀佛の 本願を信じて、もっぱら南無阿弥陀佛と唱えること)の元祖、法然上人源空(1133〜1 212)の開創に始まります。 鎌倉時代の初期、法然上人は如意ケ嶽[にょいがたけ](大文字山)の東南に草庵を結ばれ、 弟子の安楽・住蓮とともに六時礼賛[ろくじらいさん](1日に6回、阿弥陀佛を讃えて抑 揚を付けて唱えるお経)を唱えられ、念佛三昧[ねんぶつさんまい]の別行(時と場所を定 めて一心に南無阿弥陀佛を唱えること)を修められました。 法然上人の専修念佛の教えが広まるにつれて、比叡山延暦寺や奈良興福寺の衆徒などから 念佛停止[ちょうじ]の訴えが起こっていましたが、1206年(建永元年)12月、後鳥 羽上皇の熊野臨幸の留守中に院の女房、松虫・鈴虫が安楽・住蓮を慕って出家し上皇の逆 鱗にふれるという事件が生じ、安楽・住蓮は死罪に処され、法然上人は土佐(実際は讃岐) へ流罪となられました。 その後、如意ケ嶽東南の草庵は久しく荒廃していましたが、心ある人々により村中に移さ れ、絶滅は防がれていたと伝えられています。 江戸時代になり、忍澂[にんちょう]上人は当時の浄土宗僧侶の道心の衰えを嘆き、宗祖法 然上人ゆかりの鹿ケ谷の地に授戒清浄の道場を建てることを発願[ほつがん]し、浄土宗総 本山知恩院第38代の法灯を継いだ師の萬無上人に相談し、四代将軍 家綱に具申して善 気山の麓に新たに二千余坪の土地を拝領し、造営に着手しました。 工事は1680年(延宝8)7月25日に始められ翌年5月に完成し、ここにおいて当山 は、善気山 法然院 萬無教寺と称しました。 すなわち善気山は山の名をとり、法然院は開山上人の御名により、萬無は中興上人の称に よっております。 萬無上人は完成を喜び、寺法17箇条を立て、当院を独立の一本山としましたが、工事半 ばより病の床にあった上人は、完成後1ケ月余り経った6月25日知恩院方丈において往 生を遂げられました。 この後、忍澂上人は直ちに当山に移り、もっぱら萬無上人の遺志を守り、六時礼賛、不断 念佛、持戒修道の行法をたて、別に白蓮小清規[びゃくれんしょうしんぎ]を作って細かい 規則を定めました。 また、忍澂上人は中国における浄土教興隆の地である廬山[ろざん]東林寺、即ち慧遠[えお ん]の白蓮社[びゃくれんじゃ]の遺風を慕い、念佛の行儀はもとより、境内の風致も、宇治 の黄檗山[おうばくさん]萬福寺[まんぷくじ]の独湛禅師[どくたんぜんじ]の指南によって、 廬山の風を移されたものです。 当院は現在、単立[たんりつ]宗教法人(宗派の組織に属していない寺)になっていて、 壇信徒によって維持されている佛教寺院ですが、専修念佛の修行道場としての精神は 中興よりこのかた300年余り、今に至るまで脈々と受け継がれています。 1980年(昭和55)には、中興満300年を記念して、本尊の台座・天蓋[てんがい] 等の解体修理、境内及び伽藍の大整備を行ない、11月9日に「中興満300年慶祝法会 」を厳修いたしました。 当院は、日常的に壇信徒のために法事を執り行っておりますので、伽藍内は通常非公開と させていただいておりますが、年2回(4月1日〜7日、11月1日〜7日)伽藍内の特 別公開を行っております。 すべての参詣者のお心によって当院境内の閑寂が保持され続けることを願っております。 合掌 法然院 しおり より 引用 抜粋
法然院 善気山萬無教寺(ぜんきさんばんぶきょうじ)と号する浄土宗系の単立寺院である。 鎌倉時代の初め、法然上人が弟子の住蓮(じゅうれん)、安楽(あんらく)とともに、阿 弥陀仏を昼夜に六回拝む六時礼讃(ろくじらいさん)を勤めた草庵で、寛永(かんえい) 年間(1624〜1644)ほとんど廃絶していたが、延宝(えんぽう)八年(1680 )に知恩院の第三十八世萬無心阿(ばんぶしんあ)上人と弟子の忍澂和尚(にんちょうか しょう)が念仏道場として再興した。 本堂には恵心僧都(えしんそうず)作の阿弥陀如来坐像と法然上人自作木像を安置し、直 壇(じきだん)には毎朝二十五の生花(せいか)が散華される。 方丈は、桃山御殿の遺構を移建したものといわれ、襖(ふすま)絵十四面の「桐に竹図」 「若松図」「槇に海棠(かいどう)図」及び屏風の雪松図はいずれも重要文化財に指定さ れている。 参道に散る椿が名景として知られており、境内には、谷崎潤一郎、九鬼周造、河上肇ら多 くの文化人の墓がある。 京都市 案内板より
※通常伽藍内は非公開であるが、毎年、4月1日から7日までと11月1日から7日まで の年2回、伽藍内部の一般公開を行っている。
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