滝野川 金剛寺(もみじ寺)    Kongoji Temple    6.Dec.1997  天空仙人の神社仏閣めぐり

金剛寺の紅葉
紅葉寺 金剛寺(もみじ寺)山門
「紅葉寺」「山門」

金剛寺(もみじ寺) 金剛寺(もみじ寺)
「金剛寺」「扁額」

七福神


金剛寺(もみじ寺)七福神 弁財天
「弁財天」

金剛寺(もみじ寺)七福神 恵比須天 金剛寺(もみじ寺)七福神 大黒天
「恵比須天」「大黒天」

金剛寺(もみじ寺)七福神 布袋尊 金剛寺(もみじ寺)七福神 毘沙門天
「布袋尊」「毘沙門天」

金剛寺(もみじ寺)七福神 福禄寿 金剛寺(もみじ寺)七福神 寿老人
「福禄寿」「寿老人」

金剛寺(もみじ寺)

Kongoji Temple

東京都北区滝野川3−88−17

3-88-17,Takinogawa,Kita-Ku,Tokyo


真言宗豊山派。瀧河山松橋院金剛寺と号し、本尊は不動明王像です。

縁起によれば、この地は、弘法大師遊歴の古蹟で、大師自ら不動明王像を彫り、石の上に安置した、 これが同寺の本尊であるといい、また治承年中(1177〜81)、源頼朝が松橋弁天を信仰し、 堂舎を建立、あわせて田園を寄進したが、その後兵火に焼かれ、強盗に田園を掠奪され、宗門すら 定かでなかったのを、天文(1532〜55)のころ阿闍梨宥印という僧がこれを歎いて北条氏康 に訴え、真言宗の道場にしたということです。

松橋弁天というのは、この寺院の西側、崖下にある洞窟(現在は石神井川護岸の裏側になっていま す)に祀られていた弁財天のことで、岩屋弁天とも呼ばれていました。江戸時代、かなり広く知ら れていたようで、現在も区内に何ヶ所か、その名を彫った道標が残っています。

「源平盛衰記」に、源頼朝が隅田川を渡って府中に向かう途中、「武蔵国豊島の上滝野川、松橋と いう所に陣を取る」と記されております。また、この寺院の一帯は、豊島氏の支族滝野川氏の居館 滝野川城跡といわれています。境内には、鹿島万平翁の碑などがあります。

北区 文化財 案内より


源頼朝の布陣伝承地

治承4年(1180)8月、源義朝の三男頼朝は、配流先の伊豆国で兵を挙げました。初戦に勝利 するも、石橋山の合戦で破れて安房国に逃れ、そこから上総国・下総国の諸将を味方ににつけ、隅 田川を渡ります。滝野川・板橋を経て、府中六所明神に向かい、さらにそこから鎌倉を目指します。

そして鎌倉の大倉に本拠を築いた頼朝は、後に鎌倉幕府初代将軍として、その場所に政権を樹立す ることになるのです。

この途次の10月、源頼朝は軍勢を率いて滝野川の松橋に陣をとったといわれています。松橋とは、 当時の金剛寺の寺域を中心とする地名で、ここから見る石神井川の流域は、両岸に岩が切り立って、 松や楓があり、深山幽谷の趣をもっていました。

弁財天を信仰した頼朝は、崖下の洞窟の中に祀られていた弘法大師作と伝えられる弁財天に祈願し て、金剛寺の寺域に弁天堂を建立し、田地を寄進したと伝えられています。

この地域は、弁天の滝や紅葉の名所として知られていました。現在、金剛寺が紅葉寺とも呼ばれる この頃の名残がみられます。

東京都北区教育委員会 案内板より


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