高野山は弘法大師(空海上人)が嵯峨天皇の弘仁7年(816)真言密教の根本道場
として定められ、国の平和を祈り国民に安らかな生活の道を伝え、併せて末徒の修禅
観法のため、また自らの入定の地とする崇高な目的をもって開創せられた。
海抜900mの高峰上にある総面積百十余ヘクタール(33万坪)の一大盆地である。
山の姿は四仏四菩薩を象徴したといわれる内八葉・外八葉の峰々に囲まれ、さながら
八葉蓮台の形をなしている。
この山は開創以来壱千百八十余年に亘って、一般庶民の強い信仰と支持を集め、宗派に
とらわれず、あらゆる階層の人々の心の憩いの場として、或いは魂の安息所として発展
し、今日の如き一大仏都をなすに至ったのである。年々歳々この聖地に杖をひく人々は
百万を越える。
総本山 金剛峯寺
金剛峯寺の名称は弘法大師が、金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祗経の深意を象徴するものとして
命名されたもので高野山一山の総称であった。この寺は文禄2年(1593)豊臣秀吉が
亡母の菩提のため建立、更に文久」3年(1863)再建されたのが現在の建物である。
明治2年金剛峯寺と改称されるまで青巖寺と呼ばれていた。大主殿(東西54m・
南北63m 和歌山県重要文化財)のほか、別殿・新別殿・奥殿・新書院・茶室・阿字
観道場・経蔵・鐘楼・後庭に伝燈国師廟・護摩堂等が並び輪奐の美をなしている。
現在の金剛峯寺は一つの独立した形をなし座主の住寺であるが、高野山全体を総括する
伝統をそのままここに残され、又、高野山真言宗の総本山として一切の総務を司どる
総務所があって全国及び海外の末寺四千カ寺の行政を統べ、壱千万大師信徒の
信仰の中心となっている。
宝 来
「ほうらい」は、「絵絹」 「えとがみ」等とも言われ、昔から御米の出来ない
高野山では、しめ縄の代わりに御正月の床の間を飾るおめでたいものとしてその伝統を
受け継いでおります。
「寿」 「えと」は床の間・居間・玄関等「如意宝珠」は、床の間・居間・玄関等
「如意宝来」は仏壇・神棚・台所等に一年間飾るそうです。