京都 神泉苑 恵方社(しんせんえん えほうしゃ) Ehosha Shrine 21.Oct.2007 天空仙人の神社仏閣めぐり
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Ehosha Shrine
京都府京都市中京区御池通神泉苑東入門前町167
167,Monzen-cho,Higashi-iru,Shinsen-en,Oike-dori,Nakagyo-ku,Kyoto
神泉苑 延暦13年(794)、桓武天皇が平安京の造営に当たり、大内裏(だいだいり)の南 の沼沢を開いて設けられた苑地(えんち)で、常に清泉が湧き出すことから神泉苑と名 づけられた。 その境域は、南北四町東西二町という広大なもので、苑内には大池と中嶋のほか、乾 臨閣(けんりんかく)や釣殿(つりどの)、滝(たき)殿(どの)などもあり、歴代の天皇や 貴族が舟遊、観花、賦詩、弓射、相撲などの行事や遊宴を行ったといわれている。 天長元年(824)春の日旱(ひでり)に、この池畔で東寺の僧空海が善女(ぜんにょ) 龍王を祀って祈雨の法を修して霊験があったと伝えられ、以後当苑では名僧が競って 祈雨の修法を行うようになった。また、貞観五年(863)には、初めて当苑で御霊 会(ごりょうえ)が執行されるなど、宗教霊場として利用されるようになった。 現在は、東寺真言宗に属し、毎年5月1日から四日間の神泉苑祭には、壬生(みぶ)狂 言の流れを汲む神泉苑狂言(京都市登録無形民俗文化財)が執り行われる。 京都市 案内板より
神泉苑と謡曲「鷺」由来 京都の地形は北高西南低で、昔この辺は湿地帯となっていたが、それをうまく利用し て禁苑としたのが神泉苑である。かっては広大な地を占め、天皇御遊の庭園として、 四季折々に華麗な行事が催されていた。 また苑地には水鳥も多く野鳥観察に好適の地ともされていた。 「源平盛衰記」には醍醐天皇の時代、宣旨に鷺さえも羽をたゝんで、かしこまった話 がのせられており、謡曲「鷺」は、これをもとにつくられている。俗に“五位鷺”と いうのは、このとき天皇から五位の位を賜ったことから、このように呼ばれるように なったといわれている。 謡曲史跡保存会 案内板より
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