京都 等持院(とうじいん)    Tojiin Temple    29.NOV.2003 天空仙人の神社仏閣めぐり


等持院 等持院
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等持院 等持院型灯籠 等持院
「等持院型灯籠」
Tojiin Gata Toro
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等持院 足利尊氏公像 等持院 だるま衝立
「足利尊氏公像」「だるま衝立」
Ashikaga TakaujiDaruma
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京都 等持院(とうじいん)

Tojiin Temple

京都府京都市北区等持院北町63

63,Tojiin Kita-Machi,Kita-Ku,Kyoto


等持院由来

暦応四年(西暦1341年)のこと、足利尊氏将軍が、天龍寺の夢窓国師にお願いして、 衣笠山の南麓に創建されたのが、この等持院である。義満・義政両将軍のような金閣・銀閣で有名な人達が、 全力を尽くして立派にされた禅宗十刹の筆頭寺院であり、 更に、尊氏・義詮将軍当時の幕府の地の近くにあった等持寺もこちらに移されて、足利将軍家の菩提所となったものである。

応仁の乱などの戦乱に、見回れたが、豊太閤も秀頼に建て直させたほど、この寺を重んじられたのである。 その後も移り変わりはあるが、等持院が皆様に、足利十五代、二百三十余年の歴史を語るだけの貴重な文化財が、 今なお充分に保存されている。

方 丈

  現在の方丈(本堂)は元和二年(1616年)福島正則が妙心寺塔頭海福院から移築された古逢築で、 南庭をひかえた広縁は.静かに歩むと快い鶯張りの音が心よくひびいて、一足ごとに心にしみ入るようである。 方丈の襖絵は、狩野興以の作で明治維新当時一部損壊の苦難をなめ、 更に等持院撮影所が等持院北町(等持院の境内)に出来、そのロケに使用されたため、かなり破損されたが近年修復され、 年一回公開されている。

庭 園

この庭園は夢窓国師作として伝えられる三大名園の一つで、 方丈の北庭は東の苑池・心字池(草書体の心の字をかたどつて作られた池庭)で幽邃であり、 中ノ島には観音閣があったが、現在は礎石でその面影をしのぶことができる。 半夏生(三白草)が咲く夏至の頃がこの庭の気分をよくあらわしている。 一方書院から眺める西の庭は古い木立で区切られ、芙蓉の花を形どつた庭園に花木をあしらい草木を配し、 更に背景に衣笠山を借景にして、石組も変化に富んでいるのは、 尊氏公百年忌の長録元年(1457年)に復興した際、 伽藍殿舎のなかに清漣亭が加えられていたことから義政好みとよばれるようになったことに由るものと思われる。 また、さらに度重なる方丈の焼失が必然的に庭園の改造につながったのであろう。 書院に坐して茶の香りを愛でながら眺めるこの庭を引き立てるのは、 寒の頃から咲きはじめる有楽椿(侘助椿)、ついで春先に咲く馬酔木、初夏のさつき、 七月頃からのくちなしの花、初秋の芙蓉の花が清漣亭の前庭として、そのはなやかさをあらわしている。

清漣亭

方丈の北背、書院の東にあたる美しい林泉の西北の小高いところに茶室清漣亭がひっそりと落ちついた姿を見せ、 控え目なわびしいたゝずまいを、衣笠山を背景に木立の間からのぞかせている。 村田珠光や相阿弥らと茶道を興した義政好みに基づく清漣亭は、上段一畳を貴人床とする二畳台目の席で、 この上段一畳に坐して眺める芙蓉池苑はまた格別である。 当時、段上の背後にある櫛形の窓を開ければ、衣笠山の礪野ののびやかな姿が眺められたであろうとしのばれる。

尊氏之墓

方丈北の庭の中央に尊氏の墓と伝えられる宝筐印塔がある。 塔の台座は四面に立派な格狭間があり、宝瓶には蓮花を押した紋様があって、室町時代の形を示している。 台座四面の正面に延文三年四月の文字がみられる。


 THE TOJllN TEMPLE AND ITS GARDEN

 The Tojiin is a place famous historically as the family temple of the Ashikaga fifteen shoguns from Takauji to Yoshiaki.  This temple,together with its garden,was founded in 1338 by the Lord of Takauji Ashikaga under the guidance of his respected Buddhist teacher Soseki Muso(1275-1351), who was the then most renowned landscape gardener as well as the founder of the present Tenryuji.

 You will be interested to hear that the garden was primarily designed to be worthy of the Buddhist sanctum itself,when it was founded at the south foot of Mount Kinugasa.  The east part of the garden is named“Shinji-chi" and the west one“Fuyo-Chi"(i.e.“the Lotus Pond”).‘  As a matter of fact,this is one of the very rare existing gardens in Japan laid out by the Most Reverend Soseki Muso himself.

 Near to the“Lotus Pond”there stands an exquiste tea-arbor known as“Seiren−tei”this important tea ceremony room was planned and erected by the eighth Shogun Yoshimasa who was reputed as a man of culture in those days.  When“Uraku−camellias”(or,commonly named“Wabisuke”) with shiny leaves display red,pink or white flowers in full,one can appreciate the feelings of spring to his heart's content.You would never be disappointed to hear the shrill chirrup of cicadas above your head.

 After summer comes round autumn beautifully dressed in tinted leaves.Even in winter when the cold weather continues day after day,you must find it very interesting to see the garden covered with lingering snow. In short,we assure you that the garden of the Tojiin Temple shows you a representative,splendid model of the Japanese gardening beauty from season to season throughout the year.

等持院 しおり より


等持院

万年山と号する臨済宗天龍寺派の寺院である。

もと仁和寺の一院であったが、南北朝時代の暦応4年(1341)に足利尊氏が夢窓国師(むそうこくし)(夢窓疎石)を開山として中興し、 足利氏の菩提寺である中京区三条高倉の等持寺の別院とした。 延文3年(1358)に尊氏がこの寺に葬られると、その法名をとって等持院と改められ、その後、本寺である等持寺を統合した。

足利氏の菩提所にふさわしく、堂塔伽藍は衣笠山麓に威容を誇ったが、長禄年間(1457〜60)以来、しばしば火災に遭って荒廃した。 現在の建物は江戸時代・文政年間(1818〜30)の建立である。

方丈は、元和2年(1616)に福島正則が建立した妙心寺海福院の方丈を移建したものと伝えられ、 霊光殿には尊氏の念持仏といわれる利運地蔵像を安置し、左右の壇上には足利各将軍と徳川家康の木像を安置する。

境内には尊氏の墓と伝える高さ五尺の宝筐印塔のほか、夢窓国師の作庭といわれる東の心字池と芙蓉池を中心とした池泉回遊式庭園、 足利義政好みと伝えられる茶室清漣亭などがある。

京都市 案内板より


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