飯泉山 勝福寺(しょうふくじ) 飯泉観音     Odawara Shofukuji Temple    坂東三十三観音霊場第5番札所      1.Oct.2010        天空仙人の神社仏閣めぐり


小田原 勝福寺 観音堂 写真
「小田原 勝福寺 観音堂」
Odawara Shofukuji Temple

小田原 勝福寺 天女 写真
「天女」
Tennyo

小田原 勝福寺 迦陵頻迦 写真
「迦陵頻迦」
Karyobinga

小田原 勝福寺 写真 小田原 勝福寺 仁王門 写真
「小田原 勝福寺 観音堂」「仁王門」
Odawara Shofukuji TempleNioumon
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小田原 勝福寺 写真 小田原 勝福寺 山号額 写真
「山号額」
Sangou-gaku
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小田原 勝福寺 二宮金次郎 本尊礼拝の像 写真 小田原 勝福寺 鐘楼堂 写真
「二宮金次郎 本尊礼拝の像」「鐘楼堂」
Ninomiya KinjiroShoroudo
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小田原 勝福寺 金剛力士像 写真 小田原 勝福寺 金剛力士像 写真
「金剛力士像」「金剛力士像」
Kongou-RikishizouKongou-Rikishizou
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小田原 勝福寺 手水の十一観音像 写真 小田原 勝福寺 烏芻沙摩明王 写真
「手水の十一面観音像」「烏芻沙摩明王」
Jyuichimen-kannonUsusama-myouou
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小田原 勝福寺 写真 小田原 勝福寺 写真
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坂東札所 第5番 小田原 勝福寺(しょうふくじ)

Odawara Shofukuji Temple

神奈川県小田原市飯泉1161

1161,Iizumi,Odawara-shi,Kanagawa


御本尊 十一面観世音菩薩

第五番 飯泉山 勝福寺

【御詠歌】 かなわねば 助け給えと 祈る身の 舟にたからを 積むはいゝづみ

弓削道鏡が下野国の薬師寺へ下る途次、千代村に一寺を建立。鑑真和尚が唐の国より将来し、 孝謙天皇に奉献、のちに天皇より道鏡に与えられた観音像をまつったのが、この寺の創めという。 飯泉観音とも称す。

のちに室町時代、今の飯泉の地に寺を移し、称光天皇の勅を奉じて勝福寺と改む。在地の信仰篤く、 特に二宮尊徳翁、若き頃この観音に帰依し、旅僧より観音経を聞き、普済救民の尊者となりたるは、 人のよく知るところなり、縁日には江戸からの群参を迎えたという。 今も12月18日は「だるま市」に賑う。

勝福寺 御朱印 より


飯泉山勝福寺(通称 飯泉観音)

飯泉山勝福寺は、真言宗東寺派に属し、十一面観音を本尊とする。 創立は、奈良時代の頃で、弓削道鏡が流されて下野に赴くとき、千代の里に寺を建立し、 孝謙天皇より賜った唐国伝来の観音像を安置したのに始まると伝えられる (千葉山弓削寺)。

後に寺が焼けて当地に移され、飯泉山勝福寺と称した。 坂東33観音の5番札所として有名で、国府津の親木橋から当寺までの道路は巡礼街道と呼ばれている。

棟札によれば、現在の本堂は宝永3年(1706)に再建されたもので、江戸初期頃の古式をとどめた地方色豊かな建物である。

本寺にまつわる伝承として、曽我兄弟が仇討祈願のために日参し、五郎が百人力、十郎が十人力を授かり、 富士の裾野で仇討ちに成功したことや、講談で有名な雷電為右衛門が、田舎相撲の大岩大五郎を倒したことがある。 また、二宮尊徳が少年時代の頃、旅僧から観音経を聞き、一念発起した地であるといわれている。

飯泉観音の縁日は、1月18日が初観音、8月9日・10日が四万八千日、 12月17・18日がだるま市で、いずれ市が立ち、多くの人で賑わう。


小田原市指定重要文化財

勝福寺の仁王門

飯泉山勝福寺は、真言宗東寺派に属し、通称飯泉観音と呼ばれ、坂東三十三観音の第五番札所として有名です。

本堂や本尊の十一面観音は、県の重要文化財に指定されるなど、由緒ある寺院です。

仁王門は、「飯泉誌」によると宝暦8年(1758)に造営されたもので、全体に木割が太く、 二重虹梁蟇股(こうりょうかえるまた)式の妻架構(つまかこう)が堂々とした外観を構成しています。

また、八脚門としては県下では最大級で、格調の高い門です。

この仁王門も老朽化のため、昭和34年から38年までにかけ解体修理され、 屋根も、茅葺から銅板葺に改変されましたが、それ以外は貫などに新材で補修した箇所があるものの、原形をよく留めています。

小田原市教育委員会 案内板より


小田原市指定重要文化財

勝福寺の銅鐘

この銅鐘は、青銅製の和鐘で銘文により、江戸時代初期の寛永6年(1629)に地元小田原の鋳物師である青木源右衛門が作ったことがわかります。 また、この銅鐘の奉納者は、江戸の侍である佐須弥左衛門尉政重と記されています。

小田原の鋳物業は、小田原北条氏時時代に北条氏から庇護を受け、関東鋳物業の中心でありました。 江戸時代になってからも鋳物は栄え、山田、長谷川、青木の諸家から名工が生まれ小田原の梵鐘として広く知られてきました。

この銅鐘もその一つであり、市内に残る数少ない銅鐘の内でも、優れたものであります。

総高139センチ  鐘身高 100センチ

口径 74センチ   竜頭高 28センチ

小田原市教育委員会 案内板より


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