大神神社 (おおみわ じんじゃ)   OOMIWA JINJA SHRINE   14.FEB.2003 神社仏閣めぐり

大神神社 OFFICIAL PAGE


大神神社 大神神社

「拝殿」

「拝殿」

HAI-DENHAI-DEN
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三輪明神扁額

「参道」

「三輪明神扁額」

SAN DO
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「拝殿」

「帳」

HAI DENTOBARI
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巳の神杉 三本杉

「巳の神杉」

「三本杉」

MI NO KAMISUGISUNBON-SUGI
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「注連縄」

「燈籠」

SIME-NAWATOROH
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「夫婦岩」

MYOTO IWA
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大神神社(おおみわ じんじゃ)

OOMIWA JINJA SHRINE

奈良県桜井市大字三輪1422

1422,MIWA,SAKURAI-SHI,NARA

TEL 0744-42-6633


祭神 大物主大神(おおものぬしのおおかみ)

配祀 大己貴神(おおなむちのかみ)

少彦名神(すくなひこなのかみ)

当神社に祀る神、三輪の神、大物主神について、文献で最初に記述されるのは、 我が国最古の歴史書、『古事記』の上巻にあります。

それによれば、大国主神が、自分と協力して、ともに国造りに励んできた少彦名神が なくなられ、独りしてどうしてこの国を造ればよいか思い悩んでいた時、「海を 光(てら)して依り来る神」があった。

その神が、「我がみ前をよく治めれば協力しよう」と申し出た。これに対し、 大国主神は、「お祭り申し上げる方法はどうしたら良いのでしょうか」と 問うたところ、その神は、「自分を倭(やまと)の青垣、東の山の上に 斎きまつれ」と希望した。

その後に、「こは御諸(みもろ)の山の上に坐す神なり」と記されています。

つまり大和の国の周囲を垣のように取り巻いている青山のその東方の山上、 三輪山にお祭りした神が、三輪の神であり、これが大神神社ということであります。

続いて、同じ『古事記』中巻の神武天皇段に至って、三輪の神は「大物主神 (おおものぬしのかみ)」であることが記されます。

また『日本書紀』には、同じ内容が書かれ、大国主神の別名である大己貴神 (おおなむちのかみ)が、協力者の少彦名神(すくなひこなのかみ)が なくなられたので、嘆き悲しんでいるところへ、海を照らしてやって来た神があり、 この神は、大己貴神の「幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)」 であると言い、「日本国(やまと)の三諸山(みもろやま)に住みたい」と答える。

そして「この神が大三輪の神である」と記しています。

続いて『日本書紀』の崇神天皇8年に、大田田根子(おおたたねこ)が 三輪君族の始祖であり、三輪の神が大物主神であることが示されています。

更に、平安中期の法典であります『延喜式』の巻8、祝詞篇の「出雲国造神賀詞 (いづものくにのみやつこかむよごと)」の中には、「己(おの)れ命(みこと)の 和魂(にぎみたま)を八咫(やた)の鏡に取り託(つ)けて、 (やまとのおおものぬしくしみかたまのみこと)と名を称えて、大御和 (おおみわ)の神奈備(かんなび)に坐せ」とあり、大物主神は詳しくは、と言い、 大御和の神奈備【三輪山】にお祀り申し上げたことが記載されています。

いずれも、大和の東方に独座していた三輪山に、大物主神を祀ったことが 記載されています。


由緒

遠い神代の昔、大己貴神(おおなむちのかみ)【大国主神(おおくにぬしのかみ)に 同じ】が、自らの幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)を三輪山にお鎮めになり、 大物主神(おおものぬしのかみ)【詳しくは(やまとのおおものぬしくしみかたまの みこと)】の御名をもってお祀りされたのが当神社のはじまりであります。

それ故に、本殿は設けず拝殿の奥にある三ツ鳥居を通し、三輪山を拝するという、 原初の神祀りの様が伝えられており、我が国最古の神社であります。

大三輪之神(おおみわのかみ)として世に知られ、大神をおおみわと申し上げ、 神様の中の大神様として尊崇され、各時代を通じ、朝野の崇敬殊に篤く、 延喜式内社・二十二社・官幣大社として最高の待遇に預かり、無比のご神格が うかがわれます。


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