江島杉山神社(えじま すぎやま じんじゃ) Ejima Sugiyama Jinja Shrine 天空仙人の神社仏閣めぐり
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「江島杉山神社」 | 「社殿」 |
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Ejima Sugiyama Jinja Shrine | Shaden |
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「社号額」 | 「御神紋 波に三葉葵」 |
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Shagogaku | Goshinmon |
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「杉山検校頌徳碑」 | 「岩窟」 |
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Sugiyama Kengyo Shotokuhi | Gankutsu |
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「杉山検校像」 | |
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Sugiyama Kengyo/th> | |
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「宇賀神(人頭蛇尾)像」 | 「宇賀神(人頭蛇尾)像」 |
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Ugajinzou | Ugajinzou |
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「江島杉山神社」 | 「岩窟」 |
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Ejima Sugiyama Jinja Shrine | Gankutsu |
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「杉山検校」 | 「宇賀神(人頭蛇尾)像」 |
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Sugiyama Kengyo | Ugajinzou |
Ejima Sugiyama Jinja Shrine
東京都墨田区千歳1丁目8の2
1-8-2,Chitose,Sumida-Ku,Tokyo
JR総武線両国駅から徒歩約10分
御由緒 本社は江島杉山(えじますぎやま)神社といい、神奈川県藤沢市の江ノ島弁財天(市杵島比売命)と、 鍼術(しんじゅつ)の神様・杉山和一(1610~94年)総検校(そうけんぎょう)がまつられています。 弁財天は、全ての願いをかなえてくれる神様ですが、特に芸能上達に通じています。 杉山和一は、鍼(はり)の神様、視覚障害者の先駆者、視覚障害者に鍼・按摩(あんま)を職業として与えてくれた人として尊敬されています。
弁財天と杉山和一との関係 杉山和一は、三重県津市の出身で江戸時代初期の人です。幼くして失明し、江戸(現在の東京)に出て山瀬琢一に鍼術を学び、 更に江ノ島弁天の岩屋にこもり鍼術の一つである管鍼(くだはり・かんしん)術を授かりました。 その後、和一は、京都に行き入江豊明にも鍼術を学び、再び江戸に戻り鍼の名人として有名となりました。 この和一の名声を聞いた五代将軍徳川綱吉が、和一を「扶持検校(ふちけんぎょう)」として召し抱え、 日夜自分の治療に当たらせました。しかし、高齢だったために侍医・御典医という役職には就きませんでした。 和一はすでに多くの弟子を教育していたので、代わりにその弟子達が江戸幕府や大名の鍼科の御典医となりました。 綱吉は和一に、江ノ島弁天に月参りをして感謝しているのを不憫(ふびん)と思い、 元禄6年(1693)5月16日に当地本所一つ目に1860坪余りの屋敷を賜い、同6月18日には弁財天像、 先の屋敷内西側989坪余りに弁財天の社地を下賜しました。 当地下賜の逸話に、綱吉が和一に「何かほしいものはないか」と問われ、「一つ目が欲しい」との返答に当地が撰ばれたと言います。
◎本社の世界一 ①管鍼の創案・鍼の神様がまつられている・・和一は、鍼治療に際し管の中に鍼を入れるという方 法を創案・大成しました。これは現在日本の鍼治療の方法の主流となっていて、世界にも伝わって います。 ②杉山流鍼治稽古所・・和一が延宝8年(1680)には視覚障害者に鍼・按摩を教育し、世界一 古い障害者教育でもあります。江戸時代の後期より本社二の鳥層の手前・南側にその教育施設「杉 山流鍼治稽古所四間余二五間」が有りました。 ③「贈正五位杉山検校彰徳」の石碑・・二の鳥居の手前・南側、拝殿に向かい右手。和一の業績が 認められ、大正13年2月11日に正五位が追贈されたのを記念にして作られた世界に一つしかな い点字の石碑です。 ◎その他 拝殿の右側の奥には、和一が江ノ島弁天の岩屋にこもり管鍼術を創案したことに由緒があり、それ にちなんで岩屋があり、中には宗像三神・字賀神(人頭蛇尾)、杉山和一一の石像が祀られています。 一度はご参拝ください。 また、杉山和一への感謝に集まる人と、それを理解し支える町内会の感謝の輪の社でもあります。
江島杉山神杜参拝の栞 ○御鎮座地 東京都墨田区千歳一丁目八番二号
○御祭神 ・市寸嶋比賣命(いちきじまひめのみこと) 俗に弁才天とも称し、七福神の一つとしてあげられています。知恵・音曲の守り神であり、また財 宝の守り神でもあります。 ・倉稲魂命(うがのみたまのみこと) 俗に稲荷大神とも称し、広く衣食住・殖産工業・商業の守り神として崇敬が厚くその御神徳のあら たかであることは衆知のとおりであります。 ・大国主命(おほくにぬしのみこと) 大巳貴神(おほなむちのかみ)大物主神(おほものぬしのかみ)又大黒天と称します。甲子祭(き のえね)の御祭神にして経営・医薬・開運の守り神であり、七福神の一つにあげられています。 ・杉山和一大人命(すぎやまわいちうしのみこと) 伊勢で武門の嫡子として生まれ、恵まれた家庭に育ち杉山家を継ぐ身の上であったが、幼少の頃流 行病に罹り不幸にも明りを失い鍼術に入門し、血のにじむ修行を重ねた結果、鍼道の神としてあが められています。
○御由緒 本神杜は元禄六発酉年6月18日総検校杉山和一大人命が五代将軍徳川綱吉公の命に依り相州江島 神杜の御分霊を創祀した。年代は祥かではないが倉稲魂命も併せ祀られてあり昭和27年9月従前 境内社として祭祀されて来た杉山神杜の大国主命・総検校杉山和一大人命をも合祀し四柱を鎮祭す る事となった。従って名称も徳川時代に一つ目弁天杜といい明治以降江島神杜、昭和27年より江 島杉山神杜と称した。尚明治6年村杜に列格、全国の盲人より信仰されています。
○特殊信仰 私達は常日頃神様の御加護を受けております。この神明の御加護を信じ、神を崇め、報恩感謝の念 をもち日常を過して始めて心身を安んずることができます。当神杜の“いわやみち”の奥まった「 岩室」には、古くから三体の石像か祭られてあり、多くの人々に一層崇敬の念を厚くしております。 杉山和一と総禄屋敷跡について ここは江戸時代、関東周辺の琵琶法師や鍼灸師、按摩などの盲人を統括していた総禄屋敷の跡です。 杉山和一は慶長10年(1610)、伊勢国安濃津(三重県津市)で生まれました。 幼時に失明、はじめ江戸の山瀬検校に鍼灸を師事しましたが、後に京都の鍼師入江豊明に弟子入りしました。 厳しい修業の後、江ノ島の岩窟で断食祈願を行いました。その満願の明け方、霊夢を通して新しい針管術を考案しました。 杉山流管鍼術は、鍼を管に入れ、的確にツボを押さえるという画期的なものでした。 その後の和一の名声は日増しに高まり、寛文10年(1670)、検校に任じられました。 さらに五代将軍綱吉の治療の功で褒美を尋ねられ、和一は目を請いました。 綱吉は一ツ目(本所一之橋際の土地)と関東総禄検校職を与えたと伝えられています。 時に元禄6年(1693)6月のことでした。 一町四方(約1万2千平方メートル)の土地に総禄屋敷と神社が建てられ、現在の場所には鍼治講習所もありました。 現在の神社の名は、土地の拝領者と厚い信仰をささげた江ノ島弁財天を意味します。 社殿の南側には江ノ島の岩窟を模した洞窟があります。 境内 墨田区教育委員会 案内板より
宇賀御魂神(倉稲魂命)は弁才天である。 この功徳は五穀豊穣ばかりでなく如意宝珠の力によって希うことはことごとく叶い又福を得ることとなり、 あわせて弁才天本来の能力である音楽・学問・除災までの力を授けてくださるという。 即ち人の希いとしての万能の神として認めたのであるから、広く信仰されたのは当然である。 又、宇賀御魂神は、梵語のウガヤであい、ウガヤは白蛇を意味するから弁才天が蛇に縁があるのと共通し、 弁才天を龍女とみる説からも蛇で表現される。 〝人頭蛇身〟はまさに宇賀神を表す |
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