箭弓稲荷神社(やきゅう いなりじんじゃ)    Yakyu Inari Jinja Shrine    天空仙人の神社仏閣めぐり

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箭弓稲荷神社
「箭弓稲荷神社」

箭弓稲荷神社 鳥居 写真 箭弓稲荷神社 拝殿 写真
「鳥居」「拝殿」
ToriiHaiden
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「むすひ石」「バット絵馬」
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「必勝 絵馬」「絵馬」
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箭弓稲荷神社
「箭弓稲荷神社」
Yakyu Inari Jinja Shrine

箭弓稲荷神社 箭弓稲荷神社
「ボタン祭り」「注連縄」
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箭弓稲荷神社 箭弓稲荷神社 箭弓稲荷神社
「賽銭箱」「文人脇息に寄り絵馬」「絵馬」
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箭弓稲荷神社 箭弓稲荷神社 箭弓稲荷神社
「牡丹吉花」「羽子板」「幸の鈴」
Botan-KikkaHago-ItaSachi-no-Suzu

箭弓稲荷神社 (やきゅう いなりじんじゃ)

Yakyu Inari Jinja Shrine

埼玉県東松山市箭弓町2−5−14

2-5-14,Yakyu-Cho,Higashi-Matsuyama-Shi,Saitama

TEL.0493-22-2104

東武東上線東松山駅から徒歩約5分


御由緒

御祭神 保食神(うけもちのかみ)

 (宇迦之御魂神うがのみたまのかみ・豊受比賣神とようけひめのかみ)

当社の御創建は和銅5年と伝えられ、規模の雄大さと御社殿の荘厳さと 御霊験の灼かさに於いては、関東に比なき稲荷大社と称せられ、創立の当時 は野久または矢久稲荷と称せられ里人の信仰の的となっていた。

社記に依れば人皇第68代後一条天皇の御宇長元元年下総国(千葉県)の 城主前上総介平忠常謀反を企て、安房、上総、下総の三ケ国を切従へ 破竹の如き勢いにて威を八州に震い大軍を起こして武蔵国に押出せし時、 冷泉院判官代甲斐守源頼信長元三年忠常追討の倫旨を賜り、当地野久ケ原に 本陣を張りて当社を尊仰し朝敵退治の願書を呈し、一終夜の御祈願ありて その暁白雲俄に起こりて白羽の箭の如く型取りたる雲あらわれると共に 一陣の風颯と吹き立ち敵陣の方へ箭を射る如く飛び行けば頼信神明の感応 なりと直ちに敵陣に攻め入れば、忠常の陣中麻の如く乱れ三日三夜追討して 潰滅せり、頼信御神威を感得、喜悦して直ちに見事なる御社殿を再建建立して 箭弓稲荷大明神と称へ奉れりと記され亦後に御社名を箭弓稲荷と呼称す。

また宝徳三年二月の初午に河肥の左金吾持資主の心願成就の法楽を捧げられ 文明年中まで年毎の御祭礼は、太田道灌により執行せられ、松山城主上田氏 難波田氏も康正年中より、代々の領主達の尊信最も篤く後川越八代の城主 松平大和守は、社地を免租して親筆の献額を捧げ、松平家代々の城主当社を 崇敬し御分霊を城内及び邸内に奉斎された。

当社の最も隆盛を極めたのは、特に享保年間で庶民の崇敬最も篤く、四方 遠近の国々貴賤当社に心願をこめて参籠し、社前市をなし人馬の往来繁く 江戸より熊谷西上州、また江戸には「箭弓稲荷江戸講中」日本橋小田原町を 中心に江戸市中に及び講中の参拝引きもきらず、桶川、鴻巣、吹上の宿より 道中して参拝し「従是箭弓いなり道」の道標50本ありて当時の隆盛を 偲ぶことができる。現在も大小百余講社あり。

なお当社は、五穀豊穣、商売繁盛。家内安全の守護神であるとともに 養蚕倍盛、交通安全、厄除け、火難除、開運、学業成就、芸能精進等の 神社として信仰を集めている。

「箭弓稲荷神社 御由緒」 より


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