会津若松 阿弥陀寺(あいづ あみだじ) Aiduwakamatsu Amidaji Temple 天空仙人の神社仏閣めぐり
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「会津若松 阿弥陀寺」 | 「会津若松 阿弥陀寺」 |
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| Aiduwakamatsu Amidaji | Aiduwakamatsu Amidaji |
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「御三階」 | 「御三階」 |
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| Gosangai | Gosangai |
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「新選組隊士斉藤 一 藤田 五郎の墓」 | |
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福島県会津若松市七日町4-20
4-20,Nanoka-machi,Aiduwakamatsu-shi,Fukushima
「戊辰戦争の悲しみを残す阿弥陀寺」
阿弥陀寺は慶長8年(1603)蒲生秀行の時代、下野国に生まれた良然が開山しました。明治元年の戊辰戦争後、会津藩戦死者の遺骸は、西軍の命で放置されたまま、さわることを許されませんでした。 幾度もの嘆願で埋葬が許可されたのは、翌2年2月のことでした。 埋葬地は阿弥陀寺と長命寺に限られ、阿弥陀寺には1300柱にものぼる遺骸が埋葬されました。 春・秋の彼岸には手厚い供養会が行なわれています。 境内南にある「御三階」は、元は鶴ヶ城本丸内にあったもので、明治3年に移築され本堂として使用されました。 内部は4層で、秘密の会議が行なわれたと言われます。 阿弥陀寺の入り口に写真のように大仏様がありましたが、 太平洋戦争で供出され、今では台座が残るだけです。
新選組隊士 斉藤一(藤田五郎)の墓
斉藤一は、1844年(弘化元年)、御家人の父、山口祐介・母マスとの間に生まれた。初名を 山口一、のち斉藤一に改めた。 1863年(文久三年)壬生浪士組のちの新選組に参加し、副長助勤、三番隊隊長として活躍、 沖田総司、永倉新八と並ぶ剣客で、剣術師範も務めた。池田屋事件にも参戦。その後、伊東 甲子太郎らが、御陵衛士を拝命し、新選組から分離した時伊東に同調して離脱、しかし局長 の近藤勇の密命によるものといわれ、油小路で伊東らが暗殺された後、新選組に復帰し、山口二 郎と改名。 鳥羽伏見の戦い等を経て、会津若松城下に入り負傷した土方歳三に代わって新選組隊長とな り、会津戊辰戦争を戦った。しかし西軍が城下に迫った時、「会津侯(松平容保)あっての新選 組、会津を見捨てることは出来ない」と隊士十余名と残り仙台へ向かった土方と別れた。 会津藩降伏後は一瀬伝八と名乗り越後高田に幽閉。明治三年斗南に移る際に藤田五郎と改 名。その後は上京し警視庁に入り、容保の媒酌により会津藩士高木小十郎の娘時尾と結婚。 警視庁においては西南戦争に出陣するなど活躍。その後東京教育博物館等へ奉職し、1915 年(大正4年)七二歳で逝去。後半生を会津人として生きた本人の希望によりここ阿弥陀寺に 眠っている。
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境内 説明板より
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