善光寺(ぜんこうじ)      Zenko-ji Temple       10.Oct.2006         天空仙人の神社仏閣めぐり

善光寺 Official Page

北向観音常楽寺安楽寺

善光寺 写真 善光寺 仁王門 写真
「本堂」「仁王門」
HondoNiou-mon Gate
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善光寺 写真 善光寺 写真
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善光寺 経蔵 写真 善光寺 写真
「経蔵」
Kyozo
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善光寺 濡れ仏(延命地蔵) 写真 善光寺 六地蔵 写真
「濡れ仏(延命地蔵)」「六地蔵」
Nure-BotokeRoku-jizoh
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善光寺 善光寺扁額 五つの鳩 写真 善光寺 香炉 写真
「善光寺扁額

五つの鳩」

「香炉」
HengakuKohro
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善光寺絵馬 写真 善光寺 写真
「善光寺絵馬」「合格絵馬」
Zenkoji EmaGokaku Ema
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善光寺 写真
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善光寺(ぜんこうじ)

Zenko-ji Temple

長野県長野市元善町491

491,Motoyoshi-machi,Nagano-shi,Nagano


善光寺本堂

善光寺の本堂は、皇極天皇元年(642)の創建以来十数回の火災に遭っており、現在の建物は宝永4年(1707)の再建です。 間口は約24メートル、奥行は約54メートル、高さは約26メートルあり、江戸時代中期を代表する仏教建築として国宝に指定されています。

本尊を祀る仏堂に、参拝者のための礼堂(らいどう)が繋がった特殊な形をしており、棟の形が鐘を撞くT字形の道具・撞木(しゅもく)に似ていることから「撞木造り」と呼ばれています。 国宝建造物の中では東日本最大、檜皮葺建造物の中では日本一の規模を誇る広大な建物です。

床下には約45メートルの暗闇の回廊があり、秘仏の御本尊・善光寺如来さまと結縁する「お戒壇めぐり」をすることができます。

境内 案内板より


仁王門 

現在の仁王門は、当県山形村の永田兵太郎をはじめとする全国信徒の篤志により、大正7年(1918年)に再建されました。 間口約13メートル、奥行約7メートル、高さ約14メートル、屋根は銅瓦葺です。

仁王像および背面の三宝荒神像・三面大黒天像は、近代彫刻の巨匠高村光雲と米原雲海の合作です。 「定額山」の額は伏見宮貞愛親王筆によるものです。


経蔵(重要文化財)

宝暦九年(1759年)に建立された宝形造りのお堂です。内部中央には八角の輪蔵があり、その中には仏教経典を網羅した「一切経」が収められています。 輪蔵に付属している腕木を押し回すことでこの「一切経」を全て読んだことと同じ功徳が得られるといわれています。 また、経蔵内には輪蔵を考案した傅大士、並びに伝教・慈覚の両大師像が祀られています。


六地蔵

六地蔵は、われわれ衆生が輪廻を繰り返す6つの世界(六道) に現れ、迷いや苦しみから衆生を救ってくださる菩薩です。 向かって右から、地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界の地蔵菩薩です。 地獄界の地蔵菩薩が蓮台から片足を踏み出しているのは、一刻も早く衆生を救いに行こうというお気持ちの顕れだと言われています。


史跡 善光寺参道(敷石)

善光寺参道(敷石)は、宝永4年(1707)、本堂が仲見世堂跡地地蔵尊付近から現在地に移転竣工の後、 7年目にあたる正徳4年(1714)に完成した。

本堂普請の後、参道の路面状態が悪く、参詣人に難儀をきたしていたため、正徳3年、 本堂前の敷石が腰村(西長野)西光寺住職単求の寄進により敷設、 続いて境内入口の二天門跡から山門下までの218間(397メートル)が江戸中橋上槙町(現日本橋3丁目)の石屋香庄(大竹屋平兵衛)の寄進により敷設された。(墓碑銘・大勧進日記)

伝説によると、平兵衛は、伊勢出身で江戸で財をなしたが、長男が放蕩で家へ寄り付かなかった。 ある夜、盗賊が入ったので、突き殺すと、それが我が子であったという。平兵衛は世の無常を感じ、 家を後継者に譲り、巡礼の旅の途中善光寺にきて、諸人の難儀を救うため敷石を寄付した。

平兵衛は後に茂菅静松寺で出家し、享保11年(1726)に没した。 平兵衛の墓は、静松寺と善光寺境内に今も残っている。 その後も平兵衛の子孫は、敷石の修理をしていたという。

敷石は、山門上が幅4間、山門下から二天門跡までが幅3間で、長方形の石が規則正しく敷かれている。 西長野郷路山産の安山岩製で総数7777枚といいならわされているが、現在およそ7000枚が敷設されている。 一部補修を受けているが、大部分は当初のままで、これほどの規模を持つ近世以前の敷石の参道は、全国的にも稀である。

長野市教育委員会 案内板より


ぬれ仏(延命地蔵)

享保七年(1722年)に善光寺聖・法誉円信が全国から喜捨を集めて造立した延命地蔵尊です。 明暦の大火を出したといわれる八百屋お七の霊を慰めたものという伝承が伝えられているため、 俗に「八百屋お七のぬれ仏」とも呼ばれています。


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