太宰府天満宮(だざいふ てんまんぐう)   DAZAIFU-TENMANGU    27.FEB.1999 天空仙人の神社仏閣めぐり

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太宰府天満宮 再訪 2005.11


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太宰府天満宮(だざいふ てんまんぐう)

DAZAIFU-TENMANGU

福岡県太宰府市宰府4丁目7−1

4-7-1,SAIFU,DAZAIFU-SHI,FUKUOKA

TEL 092-922-8225

西鉄大宰府駅から徒歩約5分


御祭神

菅原道真公


由緒

太宰府天満宮は、菅原道真公の御墓所の上に社殿を造営して、その神霊を御奉祀する 神社で、学問の神、誠の神として世の崇敬を集めている。

延喜三年(903)2月25日、菅公は謫居(たつきょ)の地、榎寺において清らかな 御生涯を終えられた。その後、御遺骸を牛車に乗せて進んだところ、間もなくその牛が 伏して動かなくなったので、これは菅公の御心によるものであろうとその聖地に御遺骸を 葬った。門弟味酒安行(うまさけのやすゆき)は延喜五年ここに祠广(しびょう)を 建立、次いで左大臣藤原仲平勅を奉じて太宰府に下って造営を進め、延喜19年に 竣工した。

醍醐天皇は大いに菅公の生前の誠忠を追懐されて延長元年(923)に本官を復された。

そして、一条天皇正暦4年(933)には正一位左大臣、更に太政大臣を贈られ、天満大 自在天神と崇められた。

明治4年、国幣小社に、同15年には官幣小社、同28年には官幣中社に社格を 進められ、全国天満宮の総本社と称えられて年間750万余の参拝があり、 文化の祖神と仰がれている。

御祭神の御事績

菅原家の祖は出雲臣の祖神とされた天穂日命(あめのほひのみこと)であり、 その十四世孫野見宿禰(のみのすくね)の後裔で土師氏を称していたが桓武天皇の 御代に菅原の姓を許された。菅公は御父を是善公といい御母は大伴氏の出で、 承和12年(845)乙丑(きのとうし)6月25日に京都の菅原院にて御生誕、 幼名を「阿呼」または「吉祥丸」といわれた。

幼少の頃より学問を好み詩歌にもすぐれ、五歳の時に庭前の梅花をみて


   うつくしや紅の色なる梅の花

       あこが顔にもつけたくぞある

と和歌を詠まれ、十一歳の時には「月夜見梅花」の詩を作られた。

三十三歳で文章博士となられ、四十二歳の時に讃岐守(さぬきのかみ)として 4年間の赴任生活を送られ、名国司として領民に慕われた。帰京後は宇多天皇の 理想政治のもとでの信任を受け蔵人頭に抜擢され、五十五歳の時には右大臣にまで 昇進された。

更に昌泰4年正月7日、五十七歳で従二位に叙されたが時の左大臣藤原時平の 讒言(ざんげん)により同月25日大宰権帥に左遷せられた。

2月1日の京都御出発に際して紅梅殿の梅に別れを惜しまれ、


     東風吹かば匂ひおこせよ梅の花

          あるじなしとて春な忘れそ

と詠ぜられ、その梅が菅公を慕って飛来したと伝えられている御本殿前の「飛梅」は 有名である。

菅公は大宰府へ下向の道すがら、河内国土師の里(藤井寺市)、道明寺の叔母君覚寿尼に 別れを告げられ、瀬戸内海の海路によって九州に至り、3月上旬太宰府に お着きになられた。

すでに政務の実権は大弐に掌握されていたため菅公が府の仕事に関与されるということは なく、太宰府政庁の南館(榎寺)にて謹慎の御生活を送られた。そのような苦しい謫居に おいても天を怨まず人を咎めず、ひたすら国家の繁栄と皇室の御安泰を祈られ、 9月10日恩賜の御衣を捧げて

    去年の今夜 清涼に侍す

    秋思の詩編 独り断腸

    恩賜の御衣 今此に在り

    棒持して 毎日余香を排す

と詠まれたことは広く知られるところである。いつの日か無実の罪が晴れることを 願っておられたが、延喜3年(903)2月25日、再び京の地を踏むこともなく 御年五十九歳で薨去された。

菅公の御事績は我が国の文化興隆の上に大なるものがある。菅公の建議によって 遣唐使が廃止され、以後我が国独自の文化が隆々として興ったことはよく知られている。

また、学者として「三代実録」の撰修与り、「類聚国史」を編集され、特に菅公の 詩文は「菅家文章」、「菅家後集」として今日に伝わり日本文学史の上に比類なく 燦然と輝いている。

太宰府天満宮ご案内より    


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