不忍池弁天堂(しのばずのいけ べんてんどう)    Shinobazu no Ike Bentendou        谷中七福神(弁財天)    天空仙人の神社仏閣めぐり

谷中七福神
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不忍池弁天堂(しのばずのいけ べんてんどう)

Shinobazu no Ike Bentendou

東京都台東区上野公園2−1

2-1,Ueno-Koen,Taito-Ku,Tokyo

JR山手線・京浜東北線、東京メトロ銀座線上野駅から徒歩約6分


弁天堂

寛永2年(1625)天海僧正は、比叡山延暦寺にならい、上野台地に東叡山寛永寺を創建した。 不忍池は、琵琶湖に見立てられ、竹生島(ちくぶしま)に因んで、 常陸(現 茨城県)下館城主 水谷勝隆が池中に中之島(弁天堂)を築き、 さらに竹生島の宝厳寺(ほうごんじ)の大弁財天を勧請し、弁天堂を建立した。

当初、弁天島へは小船で渡っていたが、寛文年間(1661〜72)に石橋が架けられて、自由に往来できるようになり、 弁天島は弁天堂に参詣する人々で賑わった。

弁天堂は、昭和20年の空襲で焼失し、昭和33年9月に再建された。 弁天堂本尊は、慈覚大師の作と伝えられる八臂の大弁財天、脇士は毘沙門天、大黒天である。

本堂天井には、児玉希望画伯による「金竜」の図が画かれている。 また、本堂前、手水鉢の天井に、天保3年(1832)と銘のある谷文晁による「水墨の竜」をみることができる。

  大祭は九月の巳の日で巳成金(みなるがね)という。

平成10年3月

台東区教育委員会 案内板より


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