鎌倉 宝戒寺(ほうかいじ) Houkaiji Temple 天空仙人の神社仏閣めぐり
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OMAMORI |
Houkaiji Temple
神奈川県鎌倉市小町3の5の22
3-5-22,Komachi,Kamakura-Shi,Kanagawa
JR横須賀線鎌倉駅から京急バス大学前下車徒歩約3分
天台宗金龍山釈満院円頓宝戒寺略縁起 当山は天台宗の寺院で金龍山釈満院円頓宝戒寺と号す。 開基は後醍醐天皇(1288〜1339)開山は天台座主五代国師円観恵鎮慈威和上 (五人の帝の戒師となられたので五代国師を朝廷より賜る1281〜1356)で 建武(2年)年間創建された。 当寺は北條義時が小町邸を造って以来北條執権の屋敷となり、元弘3年(1333)5月 22日北條九代滅亡後その霊を慰めるため、又、国宝的人材を養成修行せしめる道場と して後醍醐天皇が足利尊氏に命じこの屋敷跡に建立させた寺である。 開山の慈威和上は当山を円頓大戒(金剛宝戒ともいい、梵綱菩薩戒経所説の十重四十八 軽戒を戒相とする大乗戒)と天台密教(台密)の大法関東弘通の道場として戒壇院を 置き、加賀白山の薬師寺、伊豫の等妙寺、筑紫の鎮弘寺と共に遠国四箇の戒場と いわれた。 亦二世普川国師惟賢和上は国家鎮護のため和合仏たる歓喜天尊像(聖天様)を造立し 特殊なる修法を定めてひたすら鎮護国家を祈念したのである。天文7年(1538) 七堂伽藍ことごとく焼失した。江戸時代に入って天海大僧正は宝戒寺は関東における 天台律宗の本寺である故寺の維持相続の保護を徳川家康に懇願している。 僧正の言を待つまでもなく当寺は円頓戒壇として並びに四宗兼学の道場として 現在に至る。
年中行事
1月1日
1月22日
2月3日
2月15日
3月春分の日
4月8日
5月22日
5月23日
7月24日
9月24日
12月8日
12月31日
毎月24日
宝戒寺 新田義貞の鎌倉攻めにより、この寺の南東にある「腹切りやぐら」で、最後の執権・北条高時をは じめ北条一族八百七十余名が自害したと伝えられています。 滅亡した北条氏の霊を弔うため、また修行道場として、後醍醐天皇が足利尊氏に命じ、北条氏の屋 敷があったとされるこの地に寺を建立させました。 境内には四季を通じて花が咲き、9月には白いハギで埋めつくされる「萩の寺」として有名です。 宗派 天台宗 山号寺号 金龍山円頓宝戒寺 建立 建武2年(1335) 開山 五代国師(円観慧鎮) 開基 後醍醐天皇 鎌倉市 案内板より
北條執権邸旧蹟 往時此ノ地ニ北條氏ノ小町亭在リ義時以後累代執権概ネ皆之ニ住セリ彼ノ相模入道ガ朝暮ニ宴筵ヲ 張リ時ニ田楽法師ニ対シ列座ノ宗族巨室ト倶ニ真垂大口ヲ争ヒ解キテ纏頭ノ山ヲ築ケリト言フ 此ノ亭ナハ元弘三年新田義貞亂入ノ際灰燼ニ帰ス 今ノ寶戒寺ハ建武二年足利尊氏ガ高時一族ノ怨 魂弔祭ノ為北條氏ノ菩提寺東勝寺ヲ此ノ亭ノ故址ニ再興シ以テ其ノ號ヲ改メシモノナリ 大正七年三月建之 鎌倉町青年會
鎌倉地蔵尊二十四所札所霊場
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