鎌倉五山 浄智寺(じょうちじ) Jochiji Temple 天空仙人の神社仏閣めぐり
| 建長寺| 円覚寺| 寿福寺| 浄智寺| 浄妙寺 |
| 鶴ヶ岡八幡宮| 浄智寺| 宝戒寺| 妙隆寺| 本覚寺| 長谷寺| 御霊神社| 江島神社 |
![]() |
![]() |
「総門」 | 「仏殿 曇華殿」 |
|---|---|
| SOUMON | BUTSUDEN |
| 拡大 画像Click | 拡大 画像Click |
![]() |
![]() |
「扁額」 | 「鐘楼門」 |
|---|---|
| HENGAKU | SHORO-MON |
| 拡大 画像Click | 拡大 画像Click |
![]() |
![]() |
| 拡大 画像Click | 拡大 画像Click |
|---|
![]() |
![]() |
「阿弥陀如来・釈迦如来・弥勒菩薩」 | 「観音菩薩像」 |
|---|---|
| 拡大 画像クリック | 拡大 画像クリック |
![]() |
![]() |
| 拡大 画像クリック | 拡大 画像クリック |
|---|
![]() |
![]() |
「鎌倉江ノ島七福神布袋尊」 | |
|---|---|
| HOTEI-SON | |
| 拡大 画像クリック | 拡大 画像クリック |
![]() |
![]() |
| 拡大 画像クリック | 拡大 画像クリック |
|---|
Jochiji Temple
神奈川県鎌倉市山ノ内1402
1402,YAMANOUCHI,KAMAKURA-SHI,KANAGAWA
浄智寺境内
鎌倉五山第4位、臨済宗円覚寺派、金寶山浄智寺は、弘安4年(1281年)北条時頼の三男宗政が 29歳で没後、間もなく、宗政夫人と幼少の師時(もろとき)を開基にして、 宗政の菩提を弔うため創建されました。中国、宋の名僧、兀菴普寧 (ごったんふねい)と大休正念、及び日本僧南洲宏海の三人が開山になっています。 これは、当初開山に招かれた宏海が、任重しと身をひき、師の大休正念を迎えて入仏供養をおこない、すでに世を 去っていた師僧の兀菴普寧を開山としたためです。 創建当初の伽藍は、外門、山門、行堂、仏殿、方丈、庫裏等を備え、塔頭は11院に及んだということです。 永い間には、ただずまいも変化し、現在は、看門寮、山門、鐘楼門、仏殿、書院、方丈、隠寮、庫裏等の堂宇が 柏槙や杉木立ちの中に点在しています。 境内は、周囲を緑の山々にかこまれ、昔ながら、広大な寺域を残しており、地理的環境と鎌倉五山の伽藍遺構を後世に 伝えるため、国の史跡として保護されています。
鎌倉五山 第四位 金宝山 臨済宗円覚寺派 浄智寺
寺史 浄智寺が創建された十三世紀の終わりごろの鎌倉は、北条 氏の勢力がきわめて盛大で禅宗がもっとも栄えた時期である。 開基 執権として有名な北条時頼の三男宗政が二十九才の若さで 弘安四年(二天一)に残しているが、間もなく宗政夫人が一 族の助げをえて寺を起こし、亡夫と幼少の師時を開基にした と思われる。 開 山 中国の名僧兀庵普寧と仏源禅師大休正念(請待開山)、およ ぴ日本僧の真応禅師南州宏海(準開山)の三人が名をつらねて いる。 はじめ、開山に招かれた南州宏海が、大任すぎるといって 身をひき、師の大休正念を請じて入仏供養の儀式をおこない、 すでに世を去っていた師僧の兀庵普寧を開山にたてたため、 複雑な形になったらしい。南州宏海は嘉元元年(1303)に 死去し、以後、高峰顕日・夢窓疎石・清拙正澄・竺仙梵僊・ 古先印元などの高僧がつぎつぎに住職に迎えられている。 延文元年(1356)の火災で、初期の伽藍をうしなうが室 町時代ごろには、方丈・書院・法堂・五百羅漢像を安置した 三門・外門・行堂・維那寮・僧堂などの主要な建物、あるい は蔵雲庵・正紹庵・正源庵・竜渕山真際精舎・楞伽院・正覚 庵・大円庵・同証庵・正印庵・興福院・福正庵といった塔頭 が建ちそろっていた。 戦国時代から江戸時代にはいると、鎌倉は農漁村になって さぴれ、寺院の多くもしだいにかつての繁栄ぷりをうしなう。 江戸時代の後期ごろには、仏殿・方丈・鐘楼・外門・惣門そ して塔頭の中の八院などがあったが、これらの建物は大正十二 年の関東大震災でほとんど倒潰した。現在は三門・二階に鐘 をさげた楼門や新しい仏殿の曇華殿・方丈・客殿などが伽藍 を形造っている。
環 境 浄智寺が建つ山ノ内地区は、鎌倉時代には禅宗を保護し、 相ついで寺院を建てた北条氏の所領であつたので、今でも禅 刹が多い。山を挾んだ隣りが駆込寺の東慶寺で、その向かい には円覚寺があり、建長寺も数分の場所にある。どの寺院も 丘を背負い、鎌倉では谷戸と呼ぷ谷合に堂宇を並べている。 浄智寺も寺域が背後の谷戸に深くのぴ、竹や杉の多い境内 に、長い歴史をもった禅刹にふさわしい閑寂なたたずまいを 保つ。うら庭の隧道をぬげると、洞窟に弥勒菩薩の化身とい われる、布袋尊がまつられている。全域が、昭和四十三年三 月、史跡に指定された。 参道入口の石橋のほとりにある甘露の井は鎌倉十井の一つ として名高く、裏山天柱峰には名僧竺仙梵僊の供養塔や以前 この地に住んだ英国の日本文化史研究家G・B・サンソムの 記念碑がある。植物もゆたかで、梅・牡丹・シヤガ(著莪)・ 夏椿などのほか、庭の白雲木が、五月には美しい花を開く。 参道右横の大木タチヒガン(さくら)は、見事な美しさで神奈 川県指定百選の一つになっている。また、仏殿横のコウヤマ キは鎌倉第一の巨木で、鐘楼前のビャクシンとともに鎌倉市 指定文化財である。
文 化 財 ○木造三世仏坐像 神奈川県童要文化財 本尊として仏殿にまつる。向かって左から阿弥陀・釈迦・ 弥勒の各如来で、過去・現在・未来の時を代表する。十五世 紀半ぱごろに再興された像で、鎌倉地方に多い衣の裾を台座 に長くたらした様式の典型的な作品。 ○木造達磨大師像 菩提達磨はインドの僧で、中国に禅をつたえ、六世紀はじ めに歿したという。禅宗の祖師としてうやまわれ、その肖像 はほとんどの禅刹でまつられている。十四、五世紀ごろの作品。 ○木造大休正念像 禅宗では、達磨など祖師方の関係深い僧の肖像を、絵画や 彫刻でつくっているが、この種の肖像中、これは代表的な作 品といえる。面部の写実はきわめて鋭く、衣文部の彫技もす ぐれている。十四世紀ごろの作品であろう。 ○木造南州宏海像 大休正念像よりこがらで、十四、五世紀ごろの作品であろ う。以前は兀庵普寧の像もあったというが、うしなわれた。 ○木造観音菩薩立像 もと三門の上に五百羅漢と一緒にまつられていた像である。 南北朝時代の作。 ○木造地蔵坐像 重要文化財 鎌倉市指定文化財 鎌倉国宝館に出陳中。 右手に錫杖、左手に宝珠を持って安坐する像で、鎌倉時代 後期の作品。 ○木造章駄天立像 鎌倉市指定文化財 鎌倉国宝館に出陳中。 韋駄天は寒建陀・建陀とも呼ぱれ、天軍の将で走力にすぐ れ、邪神を消除して釈迦の遺法を護持するといわれる。甲冑 を着け、合掌した腕の上に宝棒を横たえる。顔や両手などは 江戸時代に補われたらしいが、胴部は古く十四世紀ごろの作 品である。冑の模様には、土をねって型にいれ貼りつけて刺 繍に似た効果をだす土紋が使われている。 ○西来庵修造勧進状 重要文化財 鎌倉国宝館に出陳中。 西来庵は建長寺開山大覚寺禅師蘭溪道隆の塔所である、同 庵が荒廃したのを歎き、建長寺に住したことのある禅僧玉隠 英が、修造の資材をあつめるため、永正十三年(1516)に 書いたもの。
|
| ホーム| 神社・仏閣めぐり| 初詣おすすめスポット| 御利益コレクション| 御利益グッズ| 言い伝え| お祭り・だるま市 |
| SEO | [PR] 冠婚葬祭 花 冷え対策 わけあり商品 | 動画無料レンタルサーバー ブログ SEO | |